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憲法の人権規定の私人(特に企業)への直接適用(2022年7月25日)

憲法の人権規定の私人(特に企業)への直接適用

弁護士 苗村博子

1.今なぜ憲法か?

この事務所報で憲法を取り上げるのは初めてかと思います。ちょうど最高裁による在外邦人の国民審査について投票権がないという立法の不作為は、違憲であり、かつ国家賠償も認めたという判決 [i] が出たところで、また参院選でも憲法改正論が論点とされ、今年は憲法が何かと話題になる年ですね。憲法論というのは堅苦しいので、読む気がしないという方も、この記事はいささかエッセイのようなものなので、気楽にご覧いただければと思います。

実は、このトピックを選んだのは、この最高裁判例に接したからではありません。5 月は学会の大会が多く開かれる月で、最高裁判決の出たその週末は、土曜日に著作権法学会、土曜日、日曜日に民訴法学会が開かれました。そのいずれにおいても、「憲法適合的」という、言葉が取り上げられたことが、この記事を書こうと思った動機です。

 

2.著作権VS表現の自由

5 月 21 日土曜日の著作権法学会の個別報告では著作権が人権なのか、また表現の自由との衝突をどのように考えるかについて、欧州人権裁判所、欧州司法裁判所の判断を元にご報告がなされました [ii] 。このご発表の中心の一つが、表現の自由という憲法論を持ち出す意義でした。著作権と表現の自由の対決が問題となっているのですから、そこで問題となるのは、著作権者という私人と表現を行う私人の両者における対立です。30 年前の憲法の教科書には、私人間には憲法は直接適用されず、民法 1 条や 90 条を介在させたうえでの間接的効力しかないと説明されていました。

しかし、ご発表を伺って、現在では通説かどうかはともかく、憲法適合的解釈により法律を解する、従って、憲法論は、法律の解釈をする際に、その法律が適用される場面で、いわば直接検討されるというように「憲法適合的解釈」を理解しました。著作権は、日本では一種財産権のように思われていますが、著作者人格権という著作権周辺の権利なども含めると、むしろ表現の自由や幸福追求権といった精神的自由に近い権利、即ち基本的人権のうちでもいわば、より高度の保護が求められる精神的な自由権であるとも考えられそうです。著作権法を憲法適合的解釈によって解釈し、著作権法が、内在的に表現の自由その他の人権を侵害しないように考えられるべきものとして制度設計されていると考えるか、表現の自由は外在的制限根拠となると捉えるかはさまざまな見解があるようです。いずれにしても、これらの憲法に規定されている人権が、ストレートに私人間においても、それぞれの権利の限界はどこかという形で議論されているのだと知ったこと(今までが不勉強なのを自白しているようなものですが)は私のように 30 年間まっとうに憲法を勉強してこなかった者には衝撃でした。

3.民事訴訟と憲法

翌日の日曜日は民訴法学会のシンポジウムにウェブ参加しました。そこでは、裁判官の裁量は、羈束裁量で、憲法の諸原則に拘束されるということが論じられました。裁判官の権限行使は国家権力の発動の最たるものの一つですから、憲法に拘束されるのは当たり前といえば当たり前ですが、多くの法律実務家は、その諸原則はすべて、訴訟法に反映されていて、裁判官は訴訟法にさえ則っていればよいと考えているように思っているのではないでしょうか。しかし確かに、民事訴訟法にもいわば隙間があり、それを埋めるのはより上位にある憲法だということに今一度思いをいたせというのが、ご発表の趣旨の一部であったかと思いました。

民事訴訟は、三権分立という権力間の相互牽制の下、国民の主権を揺るぎなきものにする、そのために裁判官の独立を認めるという国の統治機構制度の一部を構成するとともに、国民の基本的人権の一つである裁判を受ける権利を制度的に保障するものでもあります。そこでは、裁判官は、時に三権分立や自らの権限行使の独立性に甘んじ、この権限行使が自らの自由裁量だと考えて、後者の国民の裁判を受ける権利を侵害しかねないということも考えられてのご発表だったようにも思いました。ドイツでは、裁判官の訴訟指揮権の行使が羈束裁量であって、決して、自由な裁量権が裁判官に許されているわけではないと考えられているとも指摘されていました。

4.今なぜ憲法か-再論―

刑事訴訟法などと違い、著作権法学会や民訴法学会といったあまり憲法と親和性がないと思われる二つの学会で憲法論が発表課題として取りあげられたのか ? 私のような一実務家にはわかりませんが、一つは、複雑化する社会、権利構造、GAFA   のようなその存在の外延がはっきりしない、巨大な企業というか、国を超えるような存在が社会に出現し、企業と個人の関係が、双方とも私人であるとのくくり方ができなくなっていること、企業を人権の保護主体としてみる必要があるほど、企業活動が国家行為を凌駕するような状況が生まれていること、国家行為というより、経済活動を直接行う企業にこそ、人権侵害を止める能力があるのではないかと思う事例が増えていることなどがあげられるのかと思います。何度か触れた、英国の現代奴隷法や、我が国の「ビジネスと事件に関する調査研究」にもあるように、企業は、21 世紀にあっては、違法でなければ、利益だけ追求してよいとは、もはや考えられず、他国での事象も含め、直接人権問題を是正するのに役立ちつつ、利益を追求すべきとの考えが強まっていることが影響しているのかと思います[iii]

また、裁判官の訴訟指揮といった裁量権行使について憲法論が議論されたのは、それだけ、司法への信頼を高める必要性が増している、そんな社会状況があるのかとも思います。2 割司法と言われて久しいですが、この割合はもしかするとさらに減っているのかも知れず、日本では訴訟は紛争解決手段となっていない、そこには裁判官の裁量に対する不信感も生まれているのではないかとのアカデミズムからの危機感があるようにも思いました。

そして私たち弁護士は、憲法論を主張するときは負けを覚悟しているとき、などと言わず、法律の基礎は憲法にあり、訴訟においても憲法論が必要な際には、ためらわず、これを主張して、裁判官に憲法を土台にした法律解釈をしてもらうこと、それによって、裁判官の守るべき裁判を受ける権利の保障をより明確なものにしてもらう必要があるのだと、2 つの学会に参加して思った次第です。

近頃沈黙して久しく、最高裁の行政見解への追従した判決が目立った今般、立法の不作為について、違憲を宣言した上述の判決は画期的なものといえるかと思います。

 

[i] 令和4年4月20日最高裁判決

[ii] 京都教育大学教育学部講師比良友佳理科先生ご発表「著作権と表現の自由-調整アプローチに関する国際比較と日本法への示唆-」

[iii] 話が若干それますが,ウクライナ侵略を止める実効性を持っているのは現在では残念ながら,国際法でも外交術でもなく,経済制裁といういわば兵糧攻めです。それは,ロシアと交易のある各国際的な企業に同国の企業との取引を,ウクライナの人々の命や健康の保護のため,止めるという決断をせまる事になっています。

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