アーカイブ

MBOに関する2つの株式取得価格決定事件から学ぶもの

(大阪高決平成21 年9月1日サンスター株式取得価格決定事件、最高決平成21 年5月29 日レックス・ホールディングス株式取得価格決定事件より)

弁護士・ニューヨーク州弁護士 苗村博子

【2024年12月2日追記】

伊藤忠等の大株主が2020年に行ったMBOすなわち、大株主が強制的に少数の株主の株も取得出来る制度を利用し、一株当たり2300円で買い取ったことに対して、この価格は安すぎるとして、株主らが株式の価格決定を求めていた事件で、東京高裁も、この価格は安すぎる、2600円が相当だとする決定を先ごろ下しました。
私が2009年に書いたこの記事は、その後2016年7月1日JCOM事件最高裁決定が、独立した第三者委員会や専門家の意見を聴くなどしていた場合には、株式の取得価格を公開買付けにおける買付け等の価格と同額とするのが相当であるとする判断をしたことにより、価格決定を求める側の立証のハードルが高くなったとされていました。しかし、今回の事件では、独立した第三者委員会がおかれたものの、その公正性に疑問符が着いたともいわれています。様々な事態が発生し、上場を続けるより、MBOをして、(経営者にとって)少し楽な経営をしたいという誘惑にかられるのは、この記事を書いた当時と変わりませんが、本件を受け、やはり、私が書いたとおり、株主にとって透明性の高い方法が求められて行くことになるように思われます。以下は2009年12月1日のコラムです。

いわゆるJ-SOX 法が導入され、会計監査の費用は、格段に高くなりました。経営陣は、内部統制報告書の持つ意義に首をかしげながらも、監査報酬の増額に関して、取締役会で承認を…というのは、結構な数の上場企業で起こった事ではないでしょうか。加えて、リーマンショックで株価は大きく下落し、また景気の悪化で、収益の下方修正の開示に頭を悩ます…となると、上場により、会社の評価を高めるメリットと経費増、業務量増のデメリット、どちらの天秤が傾くのか、ふと上場を止め、MBOをと考える経営陣も出てきているのではないでしょうか。
しかし、一旦上場した以上、非上場にするには、よほどの注意を要することを、これらの決定は物語っています。両事件の決定から、今後MBOをする際に、後に大きなトラブルを抱えないための方策を探ってみましょう。
レックスホールディングス事件では、ある投資組合の組成するファンドの資金を用いて、レックス社の経営陣が行った全部取得条項付株式の取得に対して、この提示額一株23 万円を不服と考える株主が取得価格の決定を裁判所に申立てました※①。第1審※②は、取得価格は、低廉ではないと判断し、原審※③は、公開買付(TOB)公表以後の株価は、その影響で下落しており、これを株価の客観的価値と見ることはできない、それ以前の期間も、このTOBの公表の約3ヶ月前になされた業績予想の下方修正のプレスリリースにより、株価は過剰に下落していたから、その前後の平均を取る必要があるとして、TOB公表前6ヶ月の平均(プレスリリースの前後約3ヶ月となる)の1株28 万円が、客観的価値だとして、これに、株を保有することから享受し得た利益を株主から強制的に奪うことのプレミアムを株価の2割として上乗せし、33 万円が一株の取得価格だとしました。決定は、MBOが取締役による株の取得という取引の構造上、必然的に株主との利益相反が生ずること、このプレスリリースで述べられた「特別損失の計上に当たって、決算内容を下方に誘導することを意図した会計処理がされたことは否定できない」としています。
最高裁は、この高裁決定を支持し、補足意見では、一連のプロセスにおいて株主に適切な判断機会を確保することが重要であるが、本件では買付等の価格の算定に当たり参考とした第三者による評価書、意見書等※④が公開されておらず、また、株主への通知においてTOBに応じなかった場合に、裁判所に価格決定を申立てても裁判所がこれを認めるか否か必ずしも明らかでないなどの文章が記され、株主に応諾するしかないとの「強圧的な効果」を生ぜしめていて、配慮に欠ける旨指摘しています。
サンスター事件でも、地裁と高裁の判断は分かれました。原審※⑤は、サンスターの経営陣の保有会社が行うTOB 価格一株650 円を、この全部取得条項付き株式の強制取得価格として認めましたが、大阪高裁は、この取得価格を840円と決定しています※⑥。原審はTOB 公表の前6ヶ月の株価から株式の客観的価値を決め、これにプレミアムを付し、650 円と定めたのに対し、大阪高裁は、この公表より約3ヶ月前に出された業績の下方修正発表が、「株価の安値誘導を画策する工作の一つではないかと疑われる」と指摘し、「MBOの準備を開始したと考えられる時期から公開買付けを公表した時点までの期間における株価については、特段の事情のない限り、原則として、企業価値を把握する指標として排除されるべきものと思料される」とし、公開買付公表時の1年前の株価に近似する数値を株価の客観的価値とし、それに20%のプレミアムをつけて取得価格を決定すべきであるとしました※⑦。
レックスHD 事件の東京高裁、サンスター事件の大阪高裁の両決定、株価算定のアプローチは、同じではありませんが、双方に共通するのは、経営者の会社買収が持つ利益相反性への強烈な警戒心、買収を企図する経営者に対する不信のように思われます。一審は、ともに、MBOを社内の組織変更の事象として、裁判所は一定の範囲でこれを尊重すべきとしているようにも見えますが、両高裁は、この利益相反の場面では、経営判断の法則は働かないとの考えに立つように見えます。それぞれの高裁の使った文言は上述のとおり、非常に厳しく※⑧、逆粉飾であるといわんばかりです※⑨。5.両高裁、レックス事件の最高裁の決定にいずれもが参考にしたのが、経産省に設けられた「企業価値研究会」が出したいわゆるMBO 報告書※⑩です。
両事件のMBOは、この報告書が出される前に実施されているので、これを参照して判断するのは、後出しジャンケンのようにも見えますが、研究会が報告書にまとめる前も、研究会では、議論がなされ、議事録が公表されていたことからすれば、知らなかったという言い訳も難しいのかもしれません。いずれにせよ、この報告書が最高裁にも肯定的に認知されたとなると、今後は、このMBO 報告書に沿った運用が必要となります※⑪。
MBO 報告書は、MBOの利益相反性に鑑み、①株主の適切な判断機会の確保、②意思決定過程における恣意性の排除、③価格の適正性を担保する客観的状況の確保により、株主利益に配慮することが必要だとしています。株主への通知においては、強圧的効果を生ぜしめると判断されないよう、今後は、両事件の紹介などもして、株価決定の申立等の手続を個人株主にも理解できるよう丁寧かつ中立的に伝える必要があるでしょう。
これに加え、両高裁が述べた下方修正のプレスリリースへの考えにも注目しておく必要があります。下方修正を報告する際に、すでにMBOが、検討されており(もちろんまだ、このためのTOB自体は公表できないでしょうが)、一定のMBOによる経営効率の改善のための膿出しのような損失の計上などもその業績下方修正に加えているなら、難しい作業ですが、過大報告にならない範囲で、下方修正の意味を説明し、その後の株価の不当な下落を止める努力が必要でしょう。

※① 会社法172条1項
※② 東京地決平成19年12月19日金融・商事判例1283号22頁以下
※③ 東京高決平成20年9月12日金融・商事判例1301号28頁
※④ 補足意見は、TOBの透明性確保のため、この意見書が、証取法施行令で要求されるようになった。本件でも、当時は法的義務でないとしても、株主へこの意見書が公開されるべきであったと指摘しています。
※⑤ 大阪地決平成20年9月11日金融・商事判例1326号27頁。レックス高裁決定の前日に出されています。
※⑥ 同上20頁
※⑦ 大阪高裁決定は、MBOの準備を始めた後の株価は、参考にしないと述べていますが、本件でいつその準備を始めたかは、特に認定しておらず、原審もこの点特に述べていないことから、公表1年前の価格とする理由は、必ずしも明らかではありません。
※⑧ それぞれの裁判所は、会社法172条の価格決定は、一定の裁判所の裁量の幅を認めたものだとしており、精緻な会
計論争は必要ないとの考えに立っているものとも考えられます。東京高裁決定は、会社側が、株価算定書を提出しな
かったことに言及しており、やむなく前後6ヶ月の株価の平均を取るというような判断になったのかも知れません。
※⑨ 東京高裁は、プレスリリースによる下方修正についてわざわざ、「企業会計上の裁量の範囲内にある適法な会
計処理に基づくものであったことは明らか」なものであると指摘しながらも、意図的な株価の市場価格の下落
の疑義を述べています。
※⑩ 正式名称は、平成19年8月2日に出された「企業価値の向上及び公正な手続確保のための経営者による企業買収(MBO)に関する報告書」。
※⑪ 経産省企業買収における行動指針に継承https://www.meti.go.jp/press/2023/08/20230831003/20230831003-a.pdf

旧724条の後段は、除斥期間か消滅時効か?―旧優生保護法に基づく、不当な手術に対する損害賠償請求権を認めた最高裁判例(令和6年7月3日大法廷判決)を受けて(2024年9月9日)

弁護士 苗村博子

1 はじめに

この判決は、旧優生保護法の下、不妊手術を強制された被害者が、平成30年に国家賠償請求を起こした訴訟において、この請求を認めた大阪高裁を支持し、被害者の請求を認めたという点で、画期的なものとして、大きなニュースになりました。旧民法724条後段に関する平成元年12月21日の最高裁判決を覆して、大法廷判決を以て判決を下した点もまた大きな意味を持っています。本判決は、旧724条の後段を除斥期間とは解したものの、平成元年判決が、除斥期間の経過による請求権の消滅を当然のものとしたのとは異なり、裁判では、これを求める当事者が主張する必要性を述べ、かつ本件のような酷い人権侵害にかかわる不法行為については、上告人である国が除斥期間経過を主張していても、これを理由に賠償義務を免れることは、著しく正義・公平の理念に反し、信義則違反、権利濫用だとして到底容認できないとしたのです。本判決は、平成8年同法が、母体保護法に名称を変え、かような手術に関する規定が削除された以後も、国は、かような手術は合法だとしていたこと等も考慮にいれ、上記平成元年判決の法理を維持することはできないとしたのです。この判決には、補足意見が付されており、旧民法724条を除斥期間として定めたものとしたうえでの意見と、現行の民法と同じく消滅時効の規定とみるべきとする意見も述べられています。

このような被害にあわれた方の無念を晴らした本判決を勝ち取った被害者、代理人の功績は、素晴らしいものですが、ここでは、旧民法724条が、除斥期間を定めたものなのか、消滅時効を定めたものなのか、本判決の判断の射程範囲について考えていきたいと思います。

2 旧民法724条の規定と現行法の条文の違い

2020年4月1日施行の民法724条は、

「不法行為による損害賠償の請求権は、次に掲げる場合には、時効によって消滅する。

1 被害者又はその法定代理人が損害及び加害者を知った時から3年間行使しないとき、2 不法行為の時から20年間行使しないとき。」としていて、2号も1号と同様消滅時効の規定であることを明確にしています。それまでの724条は、「不法行為による損害賠償の請求権は、被害者又はその法定代理人が損害及び加害者を知った時から3年間行使しないときは、時効によって消滅する。不法行為の時から20年を経過したときも、同様とする。」としていて、後段には時効という言葉が使われていません。この「同様とする」というのが、「時効によって消滅する」と同様という意味なのか、「消滅する」にだけかかるのかで、この後段が消滅時効の定めなのか、除斥期間すなわち、基本的には請求権そのものが消滅してしまうのかが大きな違いとなってきます。

3 除斥期間とは?

前項で「基本的には」と付したのは、本判決が引用する平成元年判決が、20年間の期間経過とともに「当然に」請求権がなくなり、裁判上も特に、消滅時効のような援用といった主張を不要だとしていたからです。同判決は、第2次世界大戦中の米軍の落とした不発弾の処理中、巡査の指示のミスで、消防団員の方が、ひどい後遺症を残す重傷を負ったという痛ましいものでしたが、平成元年の最高裁判決は、旧724条後段が除斥期間であるとし、当事者がこれを主張するまでもなく、請求権が消滅したとして、被害者の請求を棄却しました。本判決は、平成元年の判決同様、旧724条後段を除斥期間であるとしながらも、裁判では、除斥期間の経過の効果を受けようとする当事者は、除斥期間を経過していることを主張しなければならないとし、またこのような除斥期間の主張についても、その主張が正義・公平の理念に著しく反する場合には、除斥期間の主張を認めないこともありうるとした点で、平成元年判決とは、大きく異なる解釈をしています。

ただこの判決にもわかりにくさはあります。除斥期間という制度が定められたのは、不法行為をめぐる法律関係の速やかな確定を意図したものと解し、期間の経過とともに、証拠の散逸等によって、当該行為の内容や違法性の有無などについての加害者側の立証活動が困難になることを避けようというのが趣旨だとしつつ、本件は、優生保護法という立法行為そのものが被害者の権利侵害をもたらしたとして、かような立証活動の困難性がない事案だとしました。また上述の平成元年判決の法理の解釈をしている箇所では、旧民法724条の法意に照らせば、この後段は除斥期間であって、損害賠償請求権は、除斥期間の経過により法律上当然に消滅するものと解するのが相当だとして、同判決を是認しているかのようです。但し、これが裁判で争われたときに、裁判所が当事者の除斥期間の主張を待たずに、当然に消滅しているとの判断をしていいとは言わず、除斥期間経過の裁判上の主張は必要であるとし、事案によっては、本件のようにその主張自体が権利濫用となることをも認めたのです。実体法上の権利が消滅しているのに、裁判上は違うというのは、私には、論理的に矛盾があるように思えます。

4 旧724条後段に対する最高裁の真意は?

この判決の宇賀裁判官の補足意見は、これを除斥期間ととらえず、現行の724条と同様消滅時効と考えるべきとするものでした。同意見が、参考として言及している田原睦夫裁判官が消滅時効説をとった意見を述べられた平成21年4月28日最高裁第3小法廷事件は、旧724条後段を除斥期間であるとしながら、相続財産の消滅時効は相続人が確定してから6か月は時効が停止しているとする民法160条の「法意」を汲んで、除斥期間が満了していないとした点からも、実は最高裁も、除斥期間説ではなく、消滅時効説を取っているのではないかとも考えられます。この事件も殺人事件の犯人が加害者で、26年後に自首して、被害者(被相続人)の方の死亡が判明したとの悲惨な事件でした。また、詳しく紹介できませんが、この補足意見は、平成21年判決の元ともなったとして平成10年6月12日第二小法廷判決の河合伸一裁判官の民法724条後段の消滅時効説の判決を挙げていますが、これもワクチン接種によって心身に重度の障害を得た被害者の訴訟に関するものでした。

5 旧民法724条が法改正後も問題となるのは?

現行の民法724条が施行されたのは2020年4月です。したがって今から16年前より前に起こった不法行為については、旧724条が適用されるのです。近年何十年も前から、検査偽装が行われていたとの事実が、様々な業界で発覚しています。中には、事故が起こっていたが、その原因がわからなかった、検査偽装で問題点が新たになったなどの問題が生じないとは限りません。そのような事故について、損害賠償が求められた場合、本判決と同じく除斥期間説を取り、本件とは違って、16年、20年以上も前のことだから、ことがらがあやふやになっていると言ってすまされるのかは、その被害の深刻さによっては、わかりません。本判決が、旧民法724条を除斥期間としたことにより、時効消滅を主張する側の援用が要件となっている消滅時効に比べれば、その除斥期間満了の主張を排斥するための信義則や権利濫用の主張は、より難しい、言い方を変えれば、本件のような、また紹介した判決のような深刻な事案に限られることにはなるでしょう。しかし、何を以て深刻と考えるのかは、人権意識が高まりに伴って、その時々の世論によっても変わるでしょう。そういった観点から本判決は法解釈上も大きな意味を持つものとなったと考えています。

弁護士 苗村博子

2007 年7 月にスタートし、若干の遅れや、発行できなかった時期もありましたが、2024 年3 月にこの50 号を発行させていただくことができました。

このNamrun Quarterly の発行を始めてからほぼ100 本、その時々のテーマを選んだ法律エッセイと判例紹介をさせていただいたことになります。

手前味噌で恐縮ですが、紙でこのQuarterly をお送りさせていただいている方から、時々感想をいただきます。ご紹介している新法令や判例の記事が、(その方がおっしゃるには)質が高いとのことだったり、秘書さんのコラムが楽しみと言っていただけたり、装丁がおしゃれだとの感想もあったりと、いろいろな感想をお聴きすると、なるべく頑張って続けていこうというモチベーションになります。

ただ、残念ながら、私の表紙ページのコラムがよかったと言っていただくことはなく、本人としては、その時々の時事問題であったり、時事に関する書物の読後を書かせていただいたり、旅行の報告であったりと、それなりに創意工夫をしているつもりなのですが、お読みいただく方に「なるほど」と思っていただくコラムを書くというのは、なかなか難しいなと思う次第です。今回このコラムページを書くにあたって、第1号からざっと見返してみて、これって、いわば私の3カ月に1回の日記なんだなと改めて思いました。

事務所の山あり谷あり、皆さんに楽しんでいただく、または情報提供を目的としたものなので、あまり谷の部分はお見せしないようにしてきたつもりですが、読み返すと、垣間見えることもあり、また日本全体や世界全体の移り変わりも少し見ることができたりいたします。

なんでも電子化される世の中ではありますが、素敵な装丁を楽しみにしてくださる読者の方もいらっしゃるので、もうしばらくこのままの紙媒体でのNamrun Quarterly を続けていけたら、と思っております。

株主からの委任状と「反対の通知」についての最高裁判決(2024年3月22日)

弁護士 苗村博子

1.はじめに

株式買取請求は実務上多くの問題を有しております。今回は、株式買取請求について新たな判断を示した令和 5 年 10 月 26 日の最高裁決定についてご紹介します。本 Quarterly をご覧の皆さまの業務にご活用いただけますと幸甚です。

 

2.株式買取請求及びこれを行使するための要件

(1)株式買取請求とは

吸収合併等により、当初出資した会社と異なる会社に代わってしまった場合など、株主が投資した時点から会社の基礎となる事項に変更が生じた場合、もはや株主を辞めたいと考える株主もいます。会社法は、そのような株主が会社に対し自身の有する株式を買い取らせることにより、株主としての地位を離脱することを認めています(会社法 785 条等)。

(2)株式買取請求を行うことのできる「反対株主」とは

会社法 785 条 2 項を見ると、株式買取請求は「反対株主」にのみ認められています。ここでの「反対株主」に当たるためには、「吸収合併等に反対する旨を…株式会社に対し通知(以下「反対通知」といいます)」することが必要です(同項 1 号)。この通知の手続を要求することにより、会社は事前に、吸収合併契約等に反対する株主がどれくらいいるのか、どれくらいの数の株式について株式買取請求が見込まれるかを予測することができ、株式買取請求を想定した対応や吸収合併の撤回などの事前準備が可能になります。

本件の最高裁決定は、委任状についても反対通知に当たるかについて争われた事件です。

 

3.事案の概要

(1)委任状の記載

A 社(被告)と B 社は、B 社を存続会社とする吸収合併契約(以下「本件吸収合併契約」といいます)を締結し、その承認を議題とする株主総会を招集しました。A 社代表取締役 C は、株主 D(原告) に対し、当該株主の招集通知を発するとともに、D 自身が出席できない場合には、同封した委任状用紙(以下「本件委任状」といいます)内に上記株主総会に関する議案の賛否を記載して、これを返送するよう求めていました。上記本件委任状内には、宛先に「A 社御中」と印字され、「委任状」の表題の下部に「私は、…… を代理人と定め下記の権限を委任いたします。」、「令和 2 年 11 月 13 日開催の貴社臨時株主総会…に出席して、下記の議案につき私の指示(〇印で表示)にしたがって、議決権を行使すること。ただし、議案に対して賛否の表示のない場合及び原案に対して修正または動議が提出された場合は、いずれも白紙委任いたします。」とそれぞれ印字され、その下に「賛」又は「否」のいずれかに〇印を付けて本件議案についての賛否を記載する欄が設けられていました。

(2)D の委任状への記載及びCの議決権行使

D は、本件委任状内の……の箇所に代表取締役 C の名前を記載し、本件賛否欄の「否」に〇印を付けた上でA社に返信しました。

上記の返信を受け、CはDの代理人として、本件吸収合併契約に反対する旨の議決権を行使しました。

(3)Dからの株式買取請求行使

DはA社に対し、Dの保有する全株式を公正な価格で買い取ることを請求したところ、価格について折合いがつかなかったため、Dは裁判所に対し、株式買取価格を決定する申立てをしました。D の申立てに対し、裁判所は、Dの反対する旨の通知はあくまで代表取締役Cに対するものであり、会社であるA社に対してなされたものではないから、反対通知に当たらないと判示し、Dの申立てを却下しました。これを不服として、D が異議申立てをしました。

4.裁判所の判断

(1)二審決定

二審決定は、本件委任状を A 社に対して反対通知をしたとは認められない旨判示していますが、その理由として考えられるのは以下の 2 点です。

①裁判所は、会社法 785 条 2 項 1 号の反対通知は、会社に対して通知する必要があると考え方を前提にしていると考えられる点

②本件委任状は、代理人となるべき者に対して本件総会における議決権の代理行使を委任する旨の意思表示をした書面であり、本件賛否欄の「否」に〇印を付けた部分は、代理人となるべき者に対する指示に過ぎないと指摘していることから、本件委任状は会社であるA社に対し通知したものではないと評価したと考えられる点

学説上は、前記の事前通知を要求した趣旨、すなわち会社に株主の反対意思を事前に認識させることにより、株式買取請求の準備の機会を与える点にあることを重視し、上記二審決定の①と同じ立場に立つ見解が多く見られます。②についても、特に本件のような委任状はあくまで議決権行使の代理人に対する指示に過ぎず、前記二審決定と同様に、会社に対して反対の通知をしたことにはならないと考える見解が多いようです。

(2)最高裁決定

これに対し、最高裁決定は本件の委任状についても、会社に対する反対通知であると認めている点が注目に値します。まず、①の誰に対して通知をすべきかについて、最高裁も、会社法 785 条 2 項 1 号の趣旨については、「吸収合併契約等の承認…に反対する株主…の見込みを認識させる」と指摘しています。かかる指摘からすると、会社に対して事前に株式買取請求を予測させるためには、反対通知は会社に対して行う必要があると考えるのが素直であり、①については最高裁も前記二審決定と同じ立場のようです。

しかし、②については、以下の理由より、二審とは異なり、会社に対する反対通知をしたものと判示しています。すなわち、最高裁は「委任状を…送付した場合であっても、当該委任状が作成・送付された経緯やその記載内容等の事情を考慮して、吸収合併等に反対する旨の意思が消滅株式会社等に対して表明されているということができるときには、…上記委任状を消滅株式会社等に送付したことは、反対通知に当たる」と判断しました。その上で、本件委任状は、A社が「宛先を自社とする本件委任状用紙を送付して議決権の代理行使を勧誘して」するもので、その記載は A 社のフォーマットであること、及び D が上記フォーマットを使用して、「本件委任状の各欄に記載をするなどして作成」していることを指摘し、D の記載は「代理人となるべき者に対して議決権の代理行使の内容を指示するだけのもの」ではなく、A 社に対する「応答でもあった」と評価しています。そして、本件委任状の「賛否欄には『否』に〇印が付けられて」いたことから、「本件吸収合併に反対する旨の…意思表示が本件委任状に示されていた」と結論付けています。

5.結語

前記の最高裁の判断を見ると、反対通知であるかについては、当該通知の作成経緯や記載内容等の諸事情を考慮して判断されるため、委任状であるからといって必ずしも会社法 785 条 2 項 1 号の反対通知に当たらないとはいえず、内容を慎重に検討する必要があります。今後、自社内のフォーマットに株主が記載した通知であっても、反対通知であると主張され、意図せずして株主から株式買取請求が行使されてしまうおそれもあります。吸収合併に際し、株主に対して通知をする場合には、通知の記載内容に十分ご留意ください。

 

 

国際契約の基礎知識(2024年3月22日)

弁護士 倉本武任

2023 年 10 月に日本も国際調停に関するシンガポール条約を批准し、6 カ月後の本年 4 月から発効することとなっています。国際仲裁の仲裁決定同様、成立した調停が執行力を持つことになることは、国際契約にも大きな影響を及ぼすとも考えられ、この機会に、意外と知られていない、国際契約ならではの規定等について、一度振り返っておこうと思います。

 

1. 国際取引で注意すべき点

―国内取引との違い

国内取引では、その取引をどの国の法律に従って規律するかということは考えることなく、日本法によってその解釈や契約によって発生する効果が決まります。しかし、国際契約では、あらかじめその契約の準拠法を定めておき、当事者間で解釈にずれが生じた場合に、準拠法に従って、契約を解釈できるようにする必要があります。仮にこれを定める条文が契約上に定められずに、日本の裁判所にその契約に関する法律問題が提起された場合には、「法の適用に関する通則法」という法律に従って、裁判所はどの国の法律がその契約を規律するのかを決めることになりますが、この通則法を適用すべきか否かから当事者間で争いになることも多く、紛争の解決に随分時間を要することになってしまいます。

また、紛争解決手段についてもあらかじめ契約書に定めておくことも大切です。国内契約では、裁判管轄については、〇〇地方裁判所の専属管轄とすると定めることもありますが、国際契約では、紛争解決手段として裁判所における訴訟によるのかどうか、裁判管轄地をどこにするのかなども重要となってきます。

  1.準拠法    (Governing Law)
(1)契約の準拠法は、当事者自治の原則から、当事者間で定めることができます。

まず、先に世界の法体系について考えておきましょう。法体系は、大きく、大陸法 vs 英米法に分けられます。

ア . 大陸法

日本法は、大陸法系のフランス法、ドイツ法を母法とし、基本的には、この大陸法系に属します。法律条文があって、それに従うという考え方をとる、ローマ法に遡る法体系で、約束したことは守られなければならないという考え方を基礎とします。

イ . 英米法- Common Law

もともとは、法律条文がなく、紛争は裁判所に訴えて解決してもらうことを中心とする法体系で、イギリスで発展し、その後イギリス連邦諸国とルイジアナ州を除く米国のほとんどの州で採用されている法体系です。

成文法がなく、積み重ねられた判例で、現在自らが直面する問題に似た事例の判例を探して、それをあてはめてもらうという方法によって紛争を解決するため、類推が利きにくく、一定の法理の要件を探し出すにも相当の手間暇がかかります。筆者も「錯誤」の要件を NY 州法で探ろうとして大変な苦労をしたことがあります。ただし、現在世界の共通語ともいえる英語圏で用いられていることもあり、国際契約では、England 法や米国の NY 州法などが準拠法として用いられるケースが多いところです。

(2)当事者間の定めがない場合

当事者間で取り決めがなければ、日本法では、「法の適用に関する通則法」の定めに従い、最密接関連地法が選ばれます。一方当事者が特徴的給付をする場合にはその給付を行う当事者の常居所地法が契約準拠法となるのです。ですが、そもそもどの国の法律に従って、準拠法を定めるかというトートロジーの状態になることも多く、国際契約では、準拠法を定めておくことは必須といえるでしょう。

 

  2.紛争解決手段

国際契約に関する紛争解決手段には、調停(Mediation)、仲裁、裁判所における訴訟手続などがあります(下表)。

調停 仲裁 訴訟
機関 JIMIKなど私的機関 ICC、AAA、SIAC,JCAAなど様々な私的機関 裁判所
費用 低廉 高額 低廉
強制執行のための手続 執行国がシンガポール条約に加盟していれば、調停内容が執行可能となる。日本も加盟した。 執行国が、NY条約に加盟していれば、仲裁判決の執行が可能となる。日本は、加盟国での仲裁判決の執行については、仲裁法45条以下に定める 外国判決の承認執行手続は各国の民事訴訟法や規則が定める。日本での執行は、民事訴訟法118条以下に定める。
 

公開性

 

非公開 非公開 日本を含め多くの国で公開
上訴の可否 双方の合意によるので上訴は考えられない。 一審制、上訴はできない 多くの国で上訴可能。日本は三審制

契約において紛争解決条項を定めておかなければ、裁判での解決を図ることになります。どの国で裁判を行い得るかは、国際裁判管轄の問題であり、日本では、民事訴訟法3条の2から3条 12 において定められています。

紛争解決手段には、一長一短があり、仲裁は非公開でできるメリットがあるものの、費用が高額となる場合が多くなります。2019 年にシンガポール条約が成立し、国際調停で成立した合意が、締結国においては、そのまま執行できることとなりました。日本においても京都国際仲裁センターが 2019 年に開業し、仲裁や裁判による紛争解決の前提として、調停の試行を求める紛争解決条項が増え、一種のトレンドとなっています。日本がシンガポール条約に加盟したことにより、今後最終調停が成立しなかった場合に仲裁によるにしろ、訴訟を提起するにしろ、調停を前置にしておくことは、なるべく迅速に、低コストで紛争を解決する大きな変革をもたらすことになると思います。

仲裁においては、当初に双方で審理対象を定めて合意し、Terms of Reference を作成し、仲裁廷は、それ以外を審理しないこととなっています。しかし、当事者双方や仲裁廷の裁量により、後発的に審理対象が加えられることも多く、審理が長期化する要因ともなっています。

仲裁条項や調停前置の場合の紛争解決条項で定めるべきことをみていきましょう。

(1)仲裁条項(Arbitration Clause)
 場所と仲裁機関の定めが必要です。

・ ICC(International Chamber of Commerce)
 評価の高い機関ですが、仲裁費用が高額である点が指摘されています。

・ SIAC(Singapore International Arbitration  Centre)
シンガポールには、マコーミックという各種仲裁機関が仲裁における証人尋問等の審問(Hearing)を行える建物があります。中でも SIAC は、費用も合理的であるとして、シンガポールを仲裁地として、SIAC を仲裁機関とする契約条項も増えてきています。ヨーロッパの国々の企業との契約では、日本との距離、ヨーロッパ各国との距離が大体同じであり、合意がしやすいように思われます。

シンガポールでの仲裁となると準拠法もシンガポール法となりがちですが、シンガポールは、コモンローの法域で、原理原則が簡単にわからないという問題点はあるものの、弁護士費用がリーズナブルであること、英語でやり取りできる点も好感を持たれています。シンガポールの弁護士の意見ですが、時間がかかるのが難点だとのことでした。

・JCAA
残念ながら JCAA を選ぶといって応じてくれる相手方は特に相手方が欧米の場合は困難です。日本でも仲裁センターが東京・大阪にでき、これを機に仲裁の場を日本にと期待されていますが、どの程度の効果があるでしょうか?

(2)裁判管轄(Jurisdiction)

被告地とする方法や、第三国とする方法もあります。仲裁と異なり、なんらの関係のない国を選択した場合、選択国から契約との関連性がないとして、裁判管轄を否定されることもあるので注意が必要です。確かに、裁判所は、国家の機能の一つとして低廉で裁判を受けられるようにしていることが多く、なんら選択国と関係のない紛争の経費負担を選択国に求め得る合理性はありません。当該契約と何らかの関係がある国を選択する必要があります。

(3)準拠法

契約当事者は自国法を準拠法としたいと考え、なかなか合意に至れない場合もあり、一方当事者が紛争解決を求める場合には相手方の自国法を準拠法とするなど、どちらが紛争解決を求めるかで、契約の準拠法まで変わるような条項すら見かけるようになりました。しかし、いずれかが紛争を解決するために、紛争解決機関への申立てが必要となるような状況であれば、相手方も何らかの申立てをしたいと考える可能性も高い場面ですので、準拠法が異なれば、紛争解決には長期間及び多額の費用を要することにもなりかねません。契約締結前の Win-Win の関係にある間に、あらかじめいずれかの法律を選ぶ必要があります。これまでは、イギリス法や米国の NY 州法が選択されてきましたが、その理由はやはり英語でやり取りができるということにあると考えられます。大陸法系の国々でも英語での法律条文の紹介や、英語を使える弁護士が増えており、原理原則を見つけやすい大陸法系を選択することも一つの選択肢だと感じます。

※ : 法の適用に関する通則法8条1項

 

弁護士 苗村博子

今春から、大阪大学高等司法研究科の特任教授をさせていただいています。大学のキャンパスまで少し距離があることから、大学のご配慮で秋 ・冬学期の木曜日の第3限、第4限に集中して 2コマずつの講義を半年間続けていくことになります。毎週2コマ全部で 30コマはかなり大変なことになるだろうと、春からレジュメを準備して対応しているのですが、まだ全部が完成する前に秋の授業が始まってしまいました。

私が担当するのは、企業法務の基礎知識という表題で、民法の契約不適合責任から始まって、経済法、国際契約、国際ビジネスで気を付けるべき法律(FCPAやGDPR等)、知的財産法、M&A、個人情報保護法、公益通報者保護法、証券諸法、不祥事対応など、まさに弁護士となったときに企業クライアントの仕事をしたり、社内弁護士として各部から相談を受けたりしたときに役立つ法律を盛り込んだつもりです。実は、10年以上も前に、苗村塾という企業向けのセミナーを10回シリーズで行ったことがあり、コロナ下、在宅勤務で対応事件が減った際に、若先生方の協力の下、これをブラッシュアップして「製造業を支える法務パーソンの基礎知識」という本を作りました[i] 。この原稿をベースに、これまで重ねてきた企業向けセミナーのレジュメも使って、授業の資料をPPTで作っています。

私は究極のジェネラリストですので、いずれも深い話はできません。そこで、「苗村弁護士の(大)冒険」と称して、私の実体験をできれば毎回そのテーマに沿って、秘密保持義務に反しない範囲で授業の一部に組み込んで話しています。なんとなく学生さんたちの目が一番輝いて見えるのは、この事件簿について私が語っているときのように思います。企業法務の、クライアントの皆さんからビジネスを教えてもらいながら、二人三脚で事件を進めていく面白さを知ってもらえればと思っています。

 

[i] 手前味噌ですが、電子書籍版はAmazonなどでお買い求めいただけます。

集合債権譲渡担保と動産売買の先取特権の優先関係

弁護士 苗村博子

1. はじめに

あまりの表題の長さに読むのが嫌と感じられた方も多いと思いますが、この事例はまさに当事務所で扱わせていただいた、なかなか悩ましい問題を含む興味深いものですので、どうかお目通しください。もちろん事実関係については若干フィクションを加えております。

2.動産売買の先取特権の物上代位の差押えとは?

私はかつて、商社さん(A)から動産売買の売掛金の未払金についてよくご相談を受けました。民法で規定されている法定の担保権である、先取特権(民法 311 条 5 号)のうち、それが売り先(B)から第三者(C)に売られてしまったが、まだ B がC から代金回収をしていない場合に、そのC への代金債権について、A が物上代位(民法 304 条)を行使するという形での回収を得意としていたからです。この物上代位権の行使には、まだ引渡し(C からの B への代金支払い)が未了なことと、それに対して差押えを行うことが、要件とされています。この差押えには、A から B、B からC へ、その「物」が引き渡され、それぞれの代金がいくらであるかの紐づけが必要とされており、これを行うには一定のノウハウが必要なのです。

3.今回の事案

ある機器を継続的にある法人に売っている会社からご相談を受けました。支払いが滞ってきたけれど、この機器がないと法人の事業継続ができない、それでは、その法人が困るであろうと、やむなく機器の供給を続けていたのですが、売掛債権は雪だるま式に増えていっていました。そこで、2 の物上代位の差押えができるのでは~?と考えた私の指示で、事務所のみんなに苦労を掛け、また様々な機関、特に裁判所には多大なご尽力をいただきながら、この差押えを数度にわたって行い、大部分は成功裏に終わりました。C に当たる第三者は、大組織なので、支払いは確実と思われ、ほっとしたのもつかの間、C に当たる組織から、ある金融機関から債権譲渡の通知を受け取ったとの連絡が入りました。そこで、その C とも散々やり取り(私ではなく若先生がです)してもらい、なんとか、そちらに支払わず、供託をしていただきました。

4.集合債権譲渡の対抗要件

この通知された債権がなんであるか、債権譲渡登記という特別な登記簿に概要が記載されているだけで、平成 28 年に金融機関が登記したことまでは、誰でも調べようと思えばわかるのですが、その詳細は、差押えをした者など、関係者であることを証さないとわかりません。

本来、債権の譲渡は、民法 467 条が定める譲渡人が債務者に通知をすることで、債務者への対抗要件を備え、それに確定日付を得ることで、二重譲渡されても先後関係を確定できます。しかし、それでは、将来の債権を譲渡担保にできないということで、まず、その法人登記に集合債権譲渡がなされている旨を記載することで、その債務者への通知と第三者への対抗要件とすることができる制度ができました。この制度は法人登記を見れば、そんな担保を差し出しているんだとわかってしまうため、債務者にとっては、債権者に不安を与えることになって事業遂行が難しくなるなど、使い勝手が悪いとされていました。平成 10 年に「債権譲渡の対抗要件に関する民法の特例等に関する法律」(「債権譲渡特例法」) ができ、東京法務局民事行政部債権登録課だけに、この債権譲渡に関する登記簿が備置され、誰もがこの課に申請して取得できるのは、いつ、誰が、なにかの債権の譲渡を受けたということだけとなってしまったのです(この概要部分であればオンラインで閲覧も可能です)。債務者にとっては、確かに、商業登記簿には何も記載がありませんから、担保として差し出しやすくなりますが、私がない知恵を絞ってやっと物上代位の差押えを行ったという動産売買の売掛債権者にとってはたまったものでありません。私たちが行った差押えより先に登記がなされていれば、弁護士費用を払って差押えをしてやっと、どんな債権が差し押さえられたかがわかるというのですから。

5.こんな公示手段でよいのか?

皆さん、ご存じかもしれませんが、今民法の担保法制についての改革の大議論がなされています。4 年経ってもまだ、中間試案が出た段階です。それだけ、担保をめぐっては様々な関与者がいて、利害関係が複雑だということでしょう。その中の一つに、スタートアップ企業等が資金を得やすくするための事業成長担保権というのが金融庁を中心に考えられていて、2023 年 2 月10 日に報告書[i]  が提出されました。信託を使った非常に複雑な仕組みで、かつ包括的な担保とするというので、私自身はこれが将来本当に使われる制度となるのか、若干懐疑的ではありますが、この報告書の中で、このような担保の公示は、法人(といってもこの担保は今のところ株式会社だけに適用することを目指しているようですが) の商業登記簿に付記されるべきとされています(同報告書 13 頁~ 14 頁)。どのような議論がなされてのこの記述かは不明ですが、やはり、これまで述べた債権譲渡特例法のような登記では、周知ができず、他の債権者との間で混乱を生じさせるとの疑義が呈されたのではないでしょうか?

6.先取特権の物上代位の差押えの意味―特定のためと考えるべき

最高裁平成 17 年 2 月 22 日判決は、動産売買の先取特権者は、物上代位の目的債権が譲渡され、第三者に対する対抗要件が備えられた後においては、目的債権を差し押さえての物上代位権は行使できない旨、判示しました。ですが、この判決は、既に発生している債権について、上述の民法

467 条に従った債権譲渡の通知と債権差押命令の先後を問題としており、本件のような相当以前より将来債権に対する包括的な債権譲渡登記がされている場合とは事案が異なるといえそうです。また、そもそもなぜ、動産売買の先取特権の物上代位に差押えが必要とされているのか、この根源的な問題に対して、この最高裁判決は、どうも第三債務者(前述の例では C の立場の人です)の、二重支払いの危険の排除を優先的に考えたともいわれています。しかし、動産売買の先取特権は、売掛という形で先に物を渡して、代金債権を回収しないといけない売主の保護のために、民法がわざわざ法定した担保権です。その点、集合債権譲渡担保や抵当権のような債権者と債務者で約束して決める約定担保と大きく違うところです。それでも差押えを民法 304 条が要求しているのは、まさに代金債権の担保であることの証明(紐づけ)を動産の売主に要求している、すなわち特定のためのものと考えるのが筋かと思います[ii] 。上述の最高裁判例は、その意味で、もっと動産売買の売主保護を重視すべきだったと考えています。なお、5で述べた、事業性担保権については、報告書から明確ではないのですが、様々に、倒産時には、この包括担保より商取引債権が優先されるというような論調の解説がなされています。商取引が安心してできないようであれば、そもそも事業継続は難しく、将来債権をいくら担保にとっても「将来」がなくなってしまえば、元も子もないとの考えでしょう。

7.最後に

さて、最高裁判決をひっくり返す!!! という難事件になると思ったのですが、私たちが行った差押えをきっかけとして、第三債務者が供託をしたために、債務者は行き詰ってしまいました。しかし、行き詰って初めて開ける道もあるようです。あるスポンサーが全面に支援をしてくれることになり、私たちが代理した会社も差押部分以外の部分も含め、ほぼ全額回収できることとなり、本件はまあ、Happy End と言わせていただいてもよいかという結果となり、ほっとしております。

 

[i] https://www.fsa.go.jp/singi/singi_kinyu/tosin/20230210/01.pdf

[ii] https://satoegakuen.ac.jp/ols/ols-sc/ols-lawreview/No.2/No.2-saeki.pdf 佐伯一郎先生同旨

名古屋自動車学校事件最高裁判決

弁護士 倉本武任

1.はじめに

定年退職後の再雇用者と正職員の待遇差が旧労働契約法 20 条[1] に違反するかは、長澤運輸最高裁判決(最高裁平成 30 年 6月 1 日判決)が、定年後再雇用における旧労働契約法 20 条の解釈・適用判断を示し、再雇用であることは同条の「その他の事情」として考慮すると判断しました。その後、本稿で取り上げる最高裁判決の第一審となる名古屋地裁令和 2 年 10 月 28 日判決(以下「一審判決」といいます)は、定年後再雇用職員(有期雇用)の基本給について、基本給は正職員定年退職時の基本給 60%を下回る限度で不合理と認められると判断し、控訴審である名古屋高裁令和4 年 3 月 25 日判決(以下「原審判決」といいます)も一審判決の内容を維持したため、最高裁の判断が注目を集めていました。しかし、令和 5 年 7 月 20 日最高裁第一小法廷判決(以下「本判決」といいます)は正職員と定年後再雇用職員(有期雇用)との間の基本給、賞与に関する損害賠償請求の上告人(第一審の被告)敗訴部分を破棄し、名古屋高等裁判所に差し戻すとの判決を下しました。本稿では同判決について詳細を検討します。

 

2.事案の概要及び争点について

自動車学校の経営等を行う被告にて、正職員として勤務していた原告らが、定年退職後、有期の嘱託職員として再雇用され、定年前と同様の業務を行っていましたが、定年前と比較して原告らの基本給、皆精勤手当、敢闘賞、賞与(有期嘱託職員については嘱託職員一時金との名目)が減額して支給され、家族手当は支給されていなかったため、これらの労働条件の相違が旧労働契約法 20 条に違反するとして、原告らが被告に対して差額賃金、損害賠償等を請求した事案です。本判決の中心的な争点は、基本給、皆精勤手当、敢闘賞、賞与(嘱託職員一時金)といった労働条件の相違が旧労働契約法 20 条に違反するかであり、以下では特に基本給の相違について検討します。

 

3.原審判決(一審判決)と本判決の判断の差異

原審判決(一審判決)は、一部の正職員

の基本給の金額の推移から正職員の基本給が、その勤続年数に応じて増加する年功的性格を有すると判断したうえ、嘱託職員の賃金総額が正職員定年退職時の労働条件を適用した場合の 60% をやや上回るか、それ以下にとどまる点について、同年代の賃金センサス上の平均賃金を下回る水準であり、労働者の生活保障という観点からも看過し難い水準に達していると指摘しています。そして、嘱託職員時の基本給が正職員定年退職時の基本給の 60% を下回る限度で不合理と認められると判断しました。

原審判決(一審判決)に対して本判決は、正職員の基本給は、勤続年数に応じて額が定められる勤続給としての性質のみを有するということはできず、職務の内容に応じて額が定められる職務給としての性質や職務遂行能力に応じて額が定められる職能給としての性質を有するとみる余地があるとし、他方で、嘱託職員の基本給は、正職員の基本給とは異なる基準の下で支給され、勤続年数に応じて増額されることもなく、嘱託職員の基本給は正職員の基本給とは異なる性質や支給の目的を有すると述べています。さらに本判決は、原審判決が、正職員の基本給について、年功的性格を有すると述べるにとどまり、他の性質の有無及び内容並びに支給の目的を検討せず、また、嘱託職員の基本給についても、その性質及び支給の目的を何ら検討していないこと、賃金決定に至る労使交渉の具体的な経緯を労働契約法 20 条にいう「その他の準備」として勘案していないことを指摘しています。

 

4.基本給の待遇差が違法となるのはどのような場合か

本判決は、原審判決が、基本給の性質、目的、及び労使交渉の具体的な経緯を考慮していないことを理由に原審へ差し戻しているため、今後、差し戻された名古屋高等裁判所の判断を待つ必要がありますが、以下では基本給の待遇差が違法となるのはどのような場合かについて検討したいと思います。

(1)基本給の性質及び目的

基本給は、年齢に応じて決定される年齢給、勤続年数に応じて決定される勤続給、職務遂行能力の習熟度に応じて決定される職能給、担当する職務の内容に応じて決定される職務給、役割の大きさに応じて決定される役割給など様々な性質を持つ場合があります。この点は、本判決においても、その性質や支給目的を検討する必要があることが指摘されています。

(2)不合理と評価される場合とは

正社員(無期雇用)と有期雇用労働者間で賃金制度がそもそも異なる場合であっても、正社員(無期雇用)の基本給の制度設計や有期雇用労働者の就労実態によっては、正社員(無期雇用)の基本給の性質・目的が有期雇用労働者にも該当する場合はあると考えられます[2]。正社員(無期雇用) の基本給には、本判決も指摘するように、年齢給だけでなく、勤続給・職能給・職務給等の性質が組み合わされている場合もあり、かかる場合に有期雇用労働者も正社員(無期雇用)と同じ職務に従事し、長期間勤続している実態が認められるにもかかわらず、職務給や勤続給の性質を考慮しない賃金制度が有期雇用労働者に適用されているとすれば、その相違は不合理と評価される可能性があります。

また、原審判決(一審判決)は、旧労働契約法 20 条の「その他の事情」として、長澤運輸最高裁判決を引用したうえで、定年後再雇用されたものであることは「その他の事情」として考慮すると判断していますが、この点は、正社員と比べて、キャリアや生活保障の必要性などが異なるとして、正社員と定年後再雇用された者の待遇の差異の不合理性を否定する方向に働くと考えられます。もっとも、それだけで不合理性が完全に否定されるものではなく、他の事情等との総合考慮となり、基本給が定年後の賃金減額の許容範囲を超える減額があるような場合には、不合理性が認められると考えられます。この点、原審判決(一審判決)は嘱託職員時の基本給が正職員定年退職時の 60%を下回る限度で不合理と判断し、部分的に不合理性を認めていますが、数字の根拠は明確ではありません。現在、高年齢雇用継続給付金の支給要件は、定年前から賃金水準が 75%未満に低下したこと[3]とされており(雇用保険法 61 条1 項)、原審判決(一審判決)はかかる基準を考慮したようにも思われます。

定年後再雇用時の基本給はどこまでなら減額しても不合理でないのかという基準が気になるところですが、重要な点は制度設計にあたり、なぜその割合を減額するのかを説明できるようにしておくことであり、これまで特に理由もなく減額をしていたという場合には、制度設計の見直しが求められると思われます。

以上

 

[1] 法改正により旧労働契約法20条は削除され、現在は、短時間労働者及び有期雇用労働者の雇用管理の改善等に関する法律8条~10条において、正職員とパート・有期雇用職員との待遇差に関する規定が設けられています。

[2] 同一労働同一賃金ガイドライン(厚生労働省告示第430号7頁~8頁第3の1の注1)では賃金の決定基準・ルールの相違がある場合は、「通常の労働者と短時間・有期雇用労働者との間で将来の役割期待が異なるため、賃金の決定基準・ルールが異なる」等の主観的又は抽象的な説明では足りないとされています。

[3] 高年齢雇用継続給付は、雇用保険の被保険者であった期間が5年以上ある60歳以上65歳未満の一般被保険者が、原則として60歳以降の賃金が60歳時点に比べて、75%未満に低下した場合に支給され、支給額は、各月の賃金が60歳時点の賃金の61%以下に低下した場合は、各月の15%相当額、61%超75%未満に低下した場合は、その低下率に応じて、各月の賃金の15%相当未満の額とされています(但し、各月の賃金が一定額を超える場合は支給されません。)。