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土壌汚染と売主の説明義務
弁護士 中島康平
【はじめに】
今回は,汚染土地の売買において売主の説明義務違反が肯定された東京地方裁判所平成18年9月5日判決をご紹介します。土地の売買に際し、契約において土壌汚染に関する表明保証条項等の規定を設けておくことが紛争予防に資することはいうまでもありませんが、そのような規定がない場合の当事者のリスク分担を示したものとして本判決は意義があるものと思いますので、「最近の判例から」というには少し古いかもしれませんが取り上げさせて頂きます。
【事案の概要と争点】
本件の事案を簡略化すると,機械販売会社であるYから土地を購入した建設会社のXが,土地の一部(以下「本件土地」といいます。)を転売するために土壌汚染の調査を行ったところ,鉛及びふっ素による土壌汚染が生じていることが判明したため,Yに対し,売買契約の錯誤無効による代金の返還,予備的に瑕疵担保責任ないし債務不履行責任に基づき土壌調査及び土壌浄化費用の賠償等を求めたというものです。
本件では,①売買契約に要素の錯誤が存するか,②YがXに対して瑕疵担保責任を負うか,③YがXに対して債務不履行責任を負うかが争点となりました。
【判旨】
1 争点①について
錯誤について,裁判所は,土壌汚染の存在は土地の外観から明らかなものとはいえず,専門家による調査を経て初めて判明したものであるから,売買契約当時,Xが錯誤に陥っていたとは認めましたが,契約書に土地の購入目的が明記されていないこと等から転売目的が重要視された筋は見当たらないこと,契約交渉過程においても双方とも土壌汚染には無頓着なまま推移した経緯がうかがわれること,汚染土壌の除去に要する費用が売買代金の約21%に過ぎず土壌汚染を考慮しても代金額との均衡が著しく害されていると評価することもできないことを指摘して,Xの錯誤は表示されない動機の錯誤にとどまり,要素の錯誤とはいえないと判示しました。
2 争点②について
次に,瑕疵担保責任について,裁判所は,経済的取引の見地からしても,鉛及びふっ素について,各基準値[i]を超える含有量ないし溶出量を検出した土地については,経済的効用及び交換価値が低下していることが明らかで売買代金との等価性が損なわれていることから,瑕疵の存在が肯定されるべきであるとし,また,Xが同土地の引渡しを受けた平成11年8月当時において,買主がたとえ不動産取引業であったとしても,当然に土壌汚染の有無について専門的な調査を行うという取引慣行が存在していたことを認めるに足りる証拠はないこと,土壌汚染の存在は外観上明らかとはいえないこと,土壌汚染についての調査が相当な手間と費用を要するものであること等から,土壌汚染が隠れたる瑕疵であることは否定できないとしました。
しかし,商法526条を適用し,引渡し後6か月が経過したことによって,XのYに対する瑕疵担保責任に基づく損害賠償請求は許されないと判示しました。
3 争点③について
⑴ 本来的債務の不履行
裁判所は,まず,売主の本来的債務につき,契約の目的が特定物である本件では,契約の本旨は,特段の事情なき限り,本件土地を現状において引き渡すことにある(民法483条)から,売主は土壌汚染のない土地を引き渡す義務を負うとまではいえないのが原則であるとした上で,本件売買においてこれと異なる特段の事情が存在するかについて検討し,Xが転売目的で本件土地を購入することをYが認識していたと認めることはできないこと,本件売買契約における瑕疵担保について定める条項は,不動産取引において一般的に用いられる内容のものであり[ii],特に土壌汚染について言及するものではなく,また,契約締結時に至るまでXY間において土壌汚染のことが問題になっていないことから, Yが本件土地に土壌汚染が生じていないことの保証の趣旨で同条項を設けたとみることはできないこと,本件売買契約が締結された平成7年当時において売主が土壌汚染について責任を負担すべきという認識が一般的であったことを示す根拠もないこと,土壌汚染対策法が,行政的な見地から汚染物質の調査・除去義務を土地の所有者に課していることから,直ちに私人間の売買契約において売主が同義務を負担すべきことになるとはいえないことといった理由からYに本来的債務の不履行はないとしました。
⑵ 信義則上の調査・除去義務
次に,売主の信義則上の調査・除去義務についても, Yが本件土地の土壌汚染の事実を認識していたとまで認めることができないことを理由にこれを否定しました。
⑶ 説明義務違反
しかし,裁判所は,売主の説明義務について,商法526条の規定からすれば,買主であるXに売買目的物たる同土地の瑕疵の存否についての調査・通知義務が肯定されるにしても,土壌汚染の有無の調査は,一般的に専門的な技術及び多額の費用を要するものであるから,買主が同調査を行うべきかについて適切に判断をするためには,売主において土壌汚染が生じていることの認識がなくとも,土壌汚染を発生せしめる蓋然性のある方法で土地の利用をしていた場合には,土壌の来歴や従前からの利用方法について買主に説明すべき信義則上の付随義務を負うべき場合もあると判断しました。
そして,土壌汚染についての社会的認識として本件土地の引渡しがなされた平成11年には,私人間の取引の場面においても土壌汚染が発見された場合には,それを除去すべきとの認識が形成されつつあったことを認定した上で, Yの本件土地の利用状況についての認識を検討し,Yは,従来田として利用されていた本件土地に盛土をして埋め立て,工場敷地として,また,A社に賃貸することにより,機械の解体等の作業用地として使用を継続してきたこと,土壌において相当量の油分が検出されており,YがXに対して本件土地はA社が長年使用していたことにより機械解体作業時に流出した油分がその量は不詳ながら土中にしみこんでいる旨の報告していることからすれば,YないしA社は,地中に機械解体時に発生する相当量の廃油等を流出浸透させるような形態で,機械解体作業等の業務を行っていたと認められ,Yにおいてもこの点についての認識は有していたと認定しました。そして,このような形態で土地を使用すれば,廃油中に混在する各種の重金属等により,土壌汚染が生じ得ることは否定できないところであり,他方でその発見は困難で,多額の損害につながるから,Yにおいては,このような形態で本件土地を使用し,その点についての認識を有していた以上, Xが買主として検査通知義務を履践する契機となる情報を提供するため,本件土地の引渡しまでの間に,Xに対し,埋立てからの利用形態について説明・報告すべき信義則上の付随義務を負っていたというべきであるとしてYの説明義務を肯定しました。
⑷ Xの損害
その上で,Yの信義則上の説明義務の不履行により,Xは土壌汚染調査を行うべきかを適切に判断するための情報提供を受けられず商法526条の検査義務も果たせず, Yへの瑕疵担保責任を追及する機会を失ったとして,本件土地の浄化費用をXの被った損害として認め,浄化範囲確定のための調査もこれに含まれるとしましたが,その前段階の土壌汚染の調査費用は商法526条により買主に課せられた目的物の検査のための費用であるから,損害には入らないとしました。
また,過失相殺について,Xは土木建築工事に関する調査,企画,地質調査等を目的とする会社で,本件土地には機械の解体作業時に流出した油分がしみこんでいるとの報告は、Yより受けていたとして,Xに生じた損害のうち4割のみを賠償する義務をYに認めました。
[i] 平成3年8月23日付け環境庁告示第46号「土壌の汚染に係る環境基準について」,平成11年1月29日付け環境省水質保全局企画課地下水・地盤環境室長・土壌農薬課長連名から各都道府県・水質汚濁防止法政令市環境担当部局長宛通達 環水企第30号・環水土第12号「土壌・地下水汚染に係る調査・対策指針運用基準について」及び土壌汚染対策法が定める基準値をいいます。
[ii] 「本件不動産について質権・抵当権・その他の担保権もしくは地役権・賃借権その他の用益権の設定等乙の完全な取得行使を阻害する如何なる負担もなく,又一切の瑕疵負担のない所有権を乙に移転することを保証する」というものです。
MBOに関する2つの株式取得価格決定事件から学ぶもの
(大阪高決平成21 年9月1日サンスター株式取得価格決定事件、最高決平成21 年5月29 日レックス・ホールディングス株式取得価格決定事件より)
弁護士・ニューヨーク州弁護士 苗村博子
【2024年12月2日追記】
伊藤忠等の大株主が2020年に行ったMBOすなわち、大株主が強制的に少数の株主の株も取得出来る制度を利用し、一株当たり2300円で買い取ったことに対して、この価格は安すぎるとして、株主らが株式の価格決定を求めていた事件で、東京高裁も、この価格は安すぎる、2600円が相当だとする決定を先ごろ下しました。
私が2009年に書いたこの記事は、その後2016年7月1日JCOM事件最高裁決定が、独立した第三者委員会や専門家の意見を聴くなどしていた場合には、株式の取得価格を公開買付けにおける買付け等の価格と同額とするのが相当であるとする判断をしたことにより、価格決定を求める側の立証のハードルが高くなったとされていました。しかし、今回の事件では、独立した第三者委員会がおかれたものの、その公正性に疑問符が着いたともいわれています。様々な事態が発生し、上場を続けるより、MBOをして、(経営者にとって)少し楽な経営をしたいという誘惑にかられるのは、この記事を書いた当時と変わりませんが、本件を受け、やはり、私が書いたとおり、株主にとって透明性の高い方法が求められて行くことになるように思われます。以下は2009年12月1日のコラムです。
いわゆるJ-SOX 法が導入され、会計監査の費用は、格段に高くなりました。経営陣は、内部統制報告書の持つ意義に首をかしげながらも、監査報酬の増額に関して、取締役会で承認を…というのは、結構な数の上場企業で起こった事ではないでしょうか。加えて、リーマンショックで株価は大きく下落し、また景気の悪化で、収益の下方修正の開示に頭を悩ます…となると、上場により、会社の評価を高めるメリットと経費増、業務量増のデメリット、どちらの天秤が傾くのか、ふと上場を止め、MBOをと考える経営陣も出てきているのではないでしょうか。
しかし、一旦上場した以上、非上場にするには、よほどの注意を要することを、これらの決定は物語っています。両事件の決定から、今後MBOをする際に、後に大きなトラブルを抱えないための方策を探ってみましょう。
レックスホールディングス事件では、ある投資組合の組成するファンドの資金を用いて、レックス社の経営陣が行った全部取得条項付株式の取得に対して、この提示額一株23 万円を不服と考える株主が取得価格の決定を裁判所に申立てました※①。第1審※②は、取得価格は、低廉ではないと判断し、原審※③は、公開買付(TOB)公表以後の株価は、その影響で下落しており、これを株価の客観的価値と見ることはできない、それ以前の期間も、このTOBの公表の約3ヶ月前になされた業績予想の下方修正のプレスリリースにより、株価は過剰に下落していたから、その前後の平均を取る必要があるとして、TOB公表前6ヶ月の平均(プレスリリースの前後約3ヶ月となる)の1株28 万円が、客観的価値だとして、これに、株を保有することから享受し得た利益を株主から強制的に奪うことのプレミアムを株価の2割として上乗せし、33 万円が一株の取得価格だとしました。決定は、MBOが取締役による株の取得という取引の構造上、必然的に株主との利益相反が生ずること、このプレスリリースで述べられた「特別損失の計上に当たって、決算内容を下方に誘導することを意図した会計処理がされたことは否定できない」としています。
最高裁は、この高裁決定を支持し、補足意見では、一連のプロセスにおいて株主に適切な判断機会を確保することが重要であるが、本件では買付等の価格の算定に当たり参考とした第三者による評価書、意見書等※④が公開されておらず、また、株主への通知においてTOBに応じなかった場合に、裁判所に価格決定を申立てても裁判所がこれを認めるか否か必ずしも明らかでないなどの文章が記され、株主に応諾するしかないとの「強圧的な効果」を生ぜしめていて、配慮に欠ける旨指摘しています。
サンスター事件でも、地裁と高裁の判断は分かれました。原審※⑤は、サンスターの経営陣の保有会社が行うTOB 価格一株650 円を、この全部取得条項付き株式の強制取得価格として認めましたが、大阪高裁は、この取得価格を840円と決定しています※⑥。原審はTOB 公表の前6ヶ月の株価から株式の客観的価値を決め、これにプレミアムを付し、650 円と定めたのに対し、大阪高裁は、この公表より約3ヶ月前に出された業績の下方修正発表が、「株価の安値誘導を画策する工作の一つではないかと疑われる」と指摘し、「MBOの準備を開始したと考えられる時期から公開買付けを公表した時点までの期間における株価については、特段の事情のない限り、原則として、企業価値を把握する指標として排除されるべきものと思料される」とし、公開買付公表時の1年前の株価に近似する数値を株価の客観的価値とし、それに20%のプレミアムをつけて取得価格を決定すべきであるとしました※⑦。
レックスHD 事件の東京高裁、サンスター事件の大阪高裁の両決定、株価算定のアプローチは、同じではありませんが、双方に共通するのは、経営者の会社買収が持つ利益相反性への強烈な警戒心、買収を企図する経営者に対する不信のように思われます。一審は、ともに、MBOを社内の組織変更の事象として、裁判所は一定の範囲でこれを尊重すべきとしているようにも見えますが、両高裁は、この利益相反の場面では、経営判断の法則は働かないとの考えに立つように見えます。それぞれの高裁の使った文言は上述のとおり、非常に厳しく※⑧、逆粉飾であるといわんばかりです※⑨。5.両高裁、レックス事件の最高裁の決定にいずれもが参考にしたのが、経産省に設けられた「企業価値研究会」が出したいわゆるMBO 報告書※⑩です。
両事件のMBOは、この報告書が出される前に実施されているので、これを参照して判断するのは、後出しジャンケンのようにも見えますが、研究会が報告書にまとめる前も、研究会では、議論がなされ、議事録が公表されていたことからすれば、知らなかったという言い訳も難しいのかもしれません。いずれにせよ、この報告書が最高裁にも肯定的に認知されたとなると、今後は、このMBO 報告書に沿った運用が必要となります※⑪。
MBO 報告書は、MBOの利益相反性に鑑み、①株主の適切な判断機会の確保、②意思決定過程における恣意性の排除、③価格の適正性を担保する客観的状況の確保により、株主利益に配慮することが必要だとしています。株主への通知においては、強圧的効果を生ぜしめると判断されないよう、今後は、両事件の紹介などもして、株価決定の申立等の手続を個人株主にも理解できるよう丁寧かつ中立的に伝える必要があるでしょう。
これに加え、両高裁が述べた下方修正のプレスリリースへの考えにも注目しておく必要があります。下方修正を報告する際に、すでにMBOが、検討されており(もちろんまだ、このためのTOB自体は公表できないでしょうが)、一定のMBOによる経営効率の改善のための膿出しのような損失の計上などもその業績下方修正に加えているなら、難しい作業ですが、過大報告にならない範囲で、下方修正の意味を説明し、その後の株価の不当な下落を止める努力が必要でしょう。
※① 会社法172条1項
※② 東京地決平成19年12月19日金融・商事判例1283号22頁以下
※③ 東京高決平成20年9月12日金融・商事判例1301号28頁
※④ 補足意見は、TOBの透明性確保のため、この意見書が、証取法施行令で要求されるようになった。本件でも、当時は法的義務でないとしても、株主へこの意見書が公開されるべきであったと指摘しています。
※⑤ 大阪地決平成20年9月11日金融・商事判例1326号27頁。レックス高裁決定の前日に出されています。
※⑥ 同上20頁
※⑦ 大阪高裁決定は、MBOの準備を始めた後の株価は、参考にしないと述べていますが、本件でいつその準備を始めたかは、特に認定しておらず、原審もこの点特に述べていないことから、公表1年前の価格とする理由は、必ずしも明らかではありません。
※⑧ それぞれの裁判所は、会社法172条の価格決定は、一定の裁判所の裁量の幅を認めたものだとしており、精緻な会
計論争は必要ないとの考えに立っているものとも考えられます。東京高裁決定は、会社側が、株価算定書を提出しな
かったことに言及しており、やむなく前後6ヶ月の株価の平均を取るというような判断になったのかも知れません。
※⑨ 東京高裁は、プレスリリースによる下方修正についてわざわざ、「企業会計上の裁量の範囲内にある適法な会
計処理に基づくものであったことは明らか」なものであると指摘しながらも、意図的な株価の市場価格の下落
の疑義を述べています。
※⑩ 正式名称は、平成19年8月2日に出された「企業価値の向上及び公正な手続確保のための経営者による企業買収(MBO)に関する報告書」。
※⑪ 経産省企業買収における行動指針に継承https://www.meti.go.jp/press/2023/08/20230831003/20230831003-a.pdf
M&Aにおける 表明保証条項の法的意義
[2023年1月 近年の動向と令和以降の各裁判例の概要を追記]
弁護士・ニューヨーク州弁護士 苗村博子
第0 2023年の追補
眠れる日本といわれた平成期、各企業は、それでもM&A等も取り入れて、選択と集中の努力を重ねてきた。M&Aの手法も英米でなされているデューディリジェンス(DD)等の精度を増し、また契約条項も、売り手はなるべく表明保証条項に、「知る限り」とか、せめて「最大限知る限り」と限定しようとし、買い手は、表明保証条項になるべくこのような前提を付さず、さらにDD資料に表明保証違反を示すような資料があった、またインタビューなども行ったとしても、それが表明保証違反に対する補償請求権に影響を及ぼさないとする条項(プロ・サンドバッグ条項)を付加したいと考え、交渉時には攻防が繰り広げられたであろう。しかし、すべてのM&Aがウィンウィンに終わるわけではなく、その後発覚する表明保証違反について、売り手と買い手の妥協が図れず、訴訟になったものも相当数に上り、令和になってからでも10件近い判決が出されている。
その中で相応に重要と思われる6件を添付の表にまとめた。地裁判例しかないため、これが先例だとは言えないものの、2011年に紹介した以下の判例が、いわばデファクトスタンダードして機能していて、上述の契約条項があるか否かにかかわらず、裁判所は、表明保証違反を主張する当事者が善意・無重過失の場合には、補償を認めている。表の6番目の東京地裁2020年10月26日判決は、その補償額の算定方法がDCF法でよいと述べていて参考になる。
アメリカのNY州でも似たような判例が並び、善意・無重過失であれば、買い手は補償請求できるが、売り手の表明保証違反を知っていたはずといえる場合には、補償請求できない。
だからといって契約条項をおろそかにしていいとかDDをいい加減なものにした方がむしろ得ということではない。裁判には多額のコストと労力がかかる(ただ認められている額を見ると訴訟に踏み切るべき場合も相当数あると思われるが)。
この後の第1以降は2011年の執筆であるが、その内容は今も活用いただけるものと考えている。
第1 表明保証条項とは?
M&A の際の、事業譲渡契約、株式譲渡契約など、一定の時点における契約当事者や目的物の内容等について、表明保証する条項が設けられる事が多い。表明保証とは、一定の時点における契約当事者に関する事実や契約目的物の内容等に関する事実について、当該事実が真実かつ正確である旨を、一方当事者が他方当事者に対して表明し、かつその内容を保証するものである※ 1。
英米法では、Representations and Warrantiesと言われ、免責条項(Indemnity Clause)とセットで、表明保証した事項が誤っている際に、それを信じた相手方に生じた損害を補償することとなっているが、日本法上その法的意義、効力については、確たるものがない。
しかし、M&A や欧米流のプロジェクトファイナンスの浸透に従い、表明保証条項の法的効力が争いになった裁判例も出てきた。これらの裁判例を通して、その法的意義を検討する。
第2 近時の表明保証に関する裁判例の概要
① 東京地裁平成18 年1月17 日判決
〔事実関係〕
X が、Y1 ~ Y3 との間で、監査法人に委任してデューディリジェンス(DD)を実施した後、Y らが保有する消費者金融会社全株式を約2 ヶ月前の時点の貸借対照表に基づく財務状況から評価された株価で買い取るとの株式の譲渡契約を締結した。その後A が評価時前の期において赤字決算回避のため、元本に充当していた和解債権について、利息へ充当したことにして、元本につき貸倒引当金の不計上が判明した。
X は、本件株式譲渡契約におけるAの財務諸表及び貸出債権の残高が完全且つ正確だとの各表明保証条項に違反を理由に、不当に資産計上された利息充当額の損害金を求め、訴えを提起した。
〔判旨〕 判決は、本件和解債権処理に関して、表明保証条項違反を認め、損害賠償請求を認容した。本判決は、「XがY らが本件表明保証を行った事項に関して違反していることについて善意であることがX の重大な過失に基づくと認められる場合には、公平の見地に照らし、悪意の場合と同視し、Y らは本件表明保証責任を免れると解する余地があるというべきである。」とも判示しながら、本件では、DD は買主の権利であって義務ではなく、買収交渉の限られた期間に行われること、和解債権の精査方法について特段の問題がなく、A の作成した財務諸表等が会計原則に従って処理がされていることを前提としてDDを行ったことは通常の処理であって、それ自体は特段非難に値しないとして、重過失を認めなかった。
②東京地裁平成19 年7 月26 日判決
〔事実関係〕
X は、Y1 から、飲食店の経営等を行うY1 の子会社A に関する業務提携やM&A による買収を持ちかけられて交渉の後、Y ら(Y1 ~ Y3)との間でA の株式譲渡に係る基本契約を締結した。
X は、A の資産は、契約前のY らの説明よりはるかに価値の低いものであり、原告が合計3 億円あまりの損害を被ったとして、Y らに損害賠償請求を求め、出訴した。
〔判旨〕 判決は、本件が企業買収に関することを理由に、表明保証条項は、「企業買収に応じるかどうか、あるいはその対価の額をどのように定めるかといった事柄に関する決定に影響を及ぼすような事項について、重大な相違や誤りがないことを保証したもので、」免責条項は、その保証に違反があった場合に損害補償に応じる旨を定めたものであると解するべきであり、財務諸表の内容が「重要な」点において正確であることを、同条〔6〕が「重大な」不利益が存在しないこと、「重要な事項」について記載が欠けていないことを、それぞれ保証する旨を定めているものと解されると判示した上で、Aの一店舗の中途退去に伴う違約金について、Y2 は賃貸人として、違約金発生を十分判断できたはずで、違約金が発生しないとX に説明した上で、後に違約金があるとするのは、真実保証に反するとし、Yらが中途解約による違約金の存在を説明しなかったのは説明義務違反だとして、損害賠償の一部を認容した。
③東京地裁平成19 年9 月27 日判決
〔事実関係〕
X はY1 と、資本提携に関する基本合意し、翌月に業務提携に関する基本合意を締結した(両者を併せて、「本件各提携契約」という)。
本件各提携契約に基づき、Y1 は、新株発行の第三者割当により、X の株式のうち、発行済株式総数の51%を有するに至った。翌年Y2 は、証券取引法違反で逮捕され、Y1 は上場廃止になった。X は、Y らの行為により、16 億円の損害を被ったとして、Y1 社・Y2 らに対しては、損害賠償請求を求め、出訴した。
〔判旨〕 判決は、企業買収において資本・業務提携契約が締結される場合、企業は相互に対等な当事者として契約を締結するのが通常であり、私的自治の原則が適用され、「特段の事情」がない限り、上記の原則を修正して相手方当事者に情報提供義務や説明義務を負わせることはできないとした。そして、「特段の事情」の有無について、本件資本提携契約の契約書7 条は、X の表明保証責任の内容が財務状況を含めた多数の項目にわたり定められているのに対し、Y1 の表明保証責任の内容はわずか3項目にすぎず、かつ、財務状況における表明保証責任は定められていないことが認められる、X とY1 とは、本件資本提携契約について、Y1 の財務状況を買収対象会社であるX に対し表明保証する必要がないと理解していたものと認定するのが相当であって、本件資本提携契約を承認した原告取締役会の審議においても、Y1 の財務状況を問題とした質疑等は見当たらないことからも裏付けることができるとして、『特段の事情』を認めず、損害賠償責任を否定した。
④東京地裁平成22 年3 月8 日判決
〔事実関係〕
X が、被告Y ら(Y1 ~ Y8)との間でY らから被告A の発行済株式すべてを譲り受ける旨の株式譲渡契約を締結した。そして、譲渡代金の一部を支払った。
X は、Y らが上記株式譲渡契約における株価算定と企業価値についての重要な点についての虚偽がないことの表明保証条項に違反していたため、上記株式譲渡契約を解除した旨主張して、Y らに対し、支払済みの譲渡代金約6 億円及びこれに対する遅延損害金の支払を求め出訴した。さらに、Xは、A に対し、X からY1 ~ Y4 に、それぞれA の株主名簿の名義を戻すよう求め、出訴した。
〔判旨〕 本判決は、本件株式譲渡契約の解除権(解除原因)の有無について、その認定事実を踏まえ、Xの表明保証違反の主張について子細な検討を加えた結果、本件株価算定書の重要な点に虚偽があった旨及びA の財務状況に悪影響を及ぼす重要な事実が生じた旨のXの主張はいずれも採用できないとして、解除権(解除原因)を前提とするXの本訴請求は、いずれも理由がないとして、これを棄却した。
第3 ①~④の裁判例から読み取れる表明保証条項の法的意義
以上の裁判例を踏まえると、M&A において、表明保証条項を設けた場合、基本的に、条項どおりの法的効果が認められ、これに違反する場合には債務不履行として民法415 条が適用されている。ただし、中には、買主側の事例であるが、ある事項に関し、表明保証条項がなかったこと等を理由として、表明保証条項に記載のない事項については、責任を負わない趣旨であると判断するものがある(③)。
以上からすれば、表明保証条項が、売手に責任の内容を特定する機能を有しているといえよう。買手の側としては、売手に責任を負わすべき事項すべてについてできるだけ詳細に表明保証条項を設ける必要がある。
裁判例の中には、企業買収の特殊性や公平の見地を理由に、表明保証条項が限定的に解釈されたり、表明保証条項違反の不知について重過失があれば表明保証責任が免責されると判断しているものがある(①、②)。表明保証条項は、できるだけ解釈の余地のないように、一義的な文言で条項を作成することが必要である。また、表明保証条項の対象となった事項について一応のDDを実施し、表明保証条項の前提となっている事実や計算書類について、調査をすることも必要であるといえよう。
※1 江平亨「表明・保証の意義と瑕疵担保責任との関係」弥永真生ほか編・現在企業法・金融法の課題82貢
上場会社株式買取請求の「公正な価格」-楽天対TBS事件-
弁護士 田中 敦
【はじめに】
2005年に楽天によるTBS株式の大量取得が世間を騒がせてから,早6年が経過しました。両社の経営統合が実現することはありませんでしたが,2009年のTBSの持株会社化にあたり,楽天がTBSに対し株式買取請求権を行使し,その買取価格を巡る争いが続いていました。今年4月,最高裁が楽天側の抗告を棄却する決定をしたことにより両社の争いは一応の決着をみました。今回は,この事件をもとに,裁判所がどのように株式買取価格について判断したのかを見ていきたいと思います。
【TBS株式の買取請求に至った経過】
平成17年10月,楽天株式会社(以下「楽天」といいます。)が,株式会社東京放送(現在の株式会社東京放送ホールディングス,以下「TBS」といいます。)の全発行済株式のうち15.46パーセントを取得したとの事実を発表しました。同年11月に締結された覚書に基づき楽天が経営統合の提案を一旦取り下げたことにより,両社は敵対的関係から一応和解しましたが,その後も楽天がTBSの筆頭株主である状態が続いていました。
平成20年12月,TBSにて臨時株主総会が開かれ,テレビ放送免許を株式会社TBSテレビに引き継いだ上,TBSを認定放送持株会社[1]へ移行する吸収分割を行うことが決議されました。平成21年3月末,楽天は,TBSに対し,この決議に反対して,保有する全ての株式(以下「本件株式」といいます。)の買取りを請求しました。楽天がTBSの持株会社化に反対した理由については,放送法の規定上,認定放送持株会社は特定の株主が総議決権の3分の1以上を有することができないため(放送法52条の35),楽天がTBSの経営権を完全に掌握する途が断たれたためといわれています。
その後,買取価格について協議が整わなかったことから,楽天とTBSは,会社法786条2項に基づき東京地裁へ買取価格の決定を申し立てました。東京地裁は,本件株式の買取価格を1株につき1294円と決定しました。楽天がこの決定を不服として即時抗告を申し立てましたが,東京高裁は楽天による抗告を棄却する決定をしました。楽天はこの高裁決定に対しさらに最高裁へ許可抗告を申し立てましたが,最高裁でも楽天の抗告を棄却する決定がされました。
結果,本件株式(株式数3777万0700株)の平均取得価格が約3100円でしたので,楽天は,約650億円もの損失を被ることとなりました。
【検討】
1 株式の買取価格の決定にあたっての問題点
⑴ 「公正な価格」の意義
会社法785条1項では,反対株主は会社に対し自己の有する株式を「公正な価格」で買い取ることを請求できるとされています。そして,上場会社の株式については,市場価格を基礎として「公正な価格」を算定することとなります。
本件のような組織再編行為が行われた場合の「公正な価格」については,一般に,組織再編行為により企業価値が増加する場合には,シナジーを反映した価格を基礎とし,逆に企業価値を毀損する場合には,組織再編行為の決議がなければ有していたであろう価格(「ナカリセバ価格」)を基礎として算定すべきであるといわれ,本件の各決定を含む多くの裁判例がこの見解を採用しています。これについては,株式買取請求権が,組織再編により企業価値が毀損されたり,組織再編により生じるシナジーが適切に分配されないといった場合に,これに反対する株主の利益を保護するための制度であることが根拠とされます。
⑵ 公正な価格を定める基準日
前述のとおり,上場会社株式であれば買取価格は市場価格を基礎として算定されますが,その基準日については,学説上様々な見解があります。①組織再編行為の承認決議日とする見解,②反対株式の買取請求権行使日とする見解,③買取請求期間の満了時とする見解,④吸収分割の効力発生時とする見解,⑤公平の観点から裁判所が裁量的に基準日を定めることができるとする見解等が存在し,裁判例でも採用する見解が分かれています。後述のとおり,本件では,地裁,高裁,最高裁が,基準日をいつとみるべきかについてそれぞれ異なる判断をしています。
⑶ 買取価格の算定方法
基準日の市場価格をもとに買取価格をどのように算定するかについても,裁判例により,特段の事情がない限り基準日における市場価格(終値)をもって買取価格とする見解と,基準日から近接した一定期間の株価の終値による出来高加重平均値をもって算定した価格を買取価格とする見解に分かれています。
2 東京地裁による判断内容
東京地裁は,本件株式の買取価格を1株につき1294円と決定しました(東京地裁平成22年3月5日決定・金判1339号44頁)。
地裁決定では,まず,本件の吸収分割による企業価値の変動の有無につき,本件のような100パーセント子会社に資産移転する類型の吸収分割は,それ自体で企業価値の毀損はなく,また,シナジーを生じることもないとしました(高裁,最高裁も同旨)。
次に,買取価格決定の基準日について,楽天は①吸収分割の承認決議日(平成20年12月16日),TBSは②株式買取請求権の行使日(平成21年3月31日)を基準日とすべきと主張しましたが,東京地裁は,いずれとも異なる④吸収分割の効力発生日(平成21年4月1日)を基準日としました。
そして,買取価格の算定方法については,基準日の市場株価を補正する趣旨で,近接した1か月の株価の終値による出来高加重平均値をもって算定した価格が「公正な価格」であると解しつつ,本件ではTBSが当該算定方法により算定した額(1255円)を上回る額(1294円)を提示していたという当事者間の協議の経緯に鑑み,TBSの提示額をもって買取価格としました。
3 東京高裁による判断内容
東京高裁は,楽天の抗告を棄却し,原決定の結論を維持しましたが(東京高裁平成22年7月7日決定・判時2087号3頁),その理由は原決定と異なります。
買取価格の基準日について,東京高裁は,①吸収分割の承認決議日を基準日とすると株主に買取請求権の行使にあたり投機の機会を与えることとなるため相当ではないとし,また,原審の採用した④吸収分割の効力発生日を基準日とすることは合併と吸収分割の場合で基準日(組織変更の効力発生日)が異なることにつき合理的な根拠が見当たらないとして,③買取請求期間の満了日(平成21年3月31日)をもって基準日としました。
また,買取価格の算定方法について,高裁は,原決定の採用した算定方法も一般論としてはあり得る考え方であるとの前置きをした上で,株価操作を目的とする不正な手段を用いた取引がされた等通常の形態の取引以外の要因によって市場価格が影響され,それが企業の客観的価値を反映しないなどの特段の事由がなければ,基準日における株式の市場価格が「公正な価格」であるとし,本件では基準日の市場価格であった1294円を買取価格としました。
4 最高裁による判断内容
最高裁は,地裁,高裁の結論を維持しつつ,買取価格決定の基準日について,地裁,高裁と異なった判断を下しています(最高裁平成23年4月19日決定・金判1366号9頁)。
最高裁は,②反対株主の買取請求権行使日(平成21年3月31日)を基準日としました(ただし,高裁の採用した基準日と同日のため結論においては同じ。)。その理由として,反対株主が株式買取請求権を行使すれば,法律上当然に反対株主と会社との間で売買契約が成立したのと同様の法律関係が生じ,会社にはその株式を「公正な価格」で買い取る義務が生じるため(最高裁昭和48年3月1日決定・民集27巻2号161頁),そのような法律関係が生じた時点を基準とすることが合理的であること,反対株主は会社の承諾を得なければ株式買取請求を撤回することができないにもかかわらず,買取請求をした日より後の日を基準とすると,買取請求後に生じる市場の価格変動による株価変動のリスクを負担させることとなり相当でないことが挙げられています。
また,買取価格の算定方法について,最高裁は,基準日における市場価格をもとにどのように買取価格を算定するかは,裁判所の合理的な裁量に委ねられるとしました。
【終わりに】
最高裁は,「公正な価格」の決定は基本的には裁判所の裁量に委ねられるとしています。これは,前記昭和48年最高裁決定の立場を踏襲したものであり,株式の価格については様々な事象に影響されることや,買取価格決定の申立てが非訟事件に属することが理由と考えられます。しかしながら,本件の最高裁決定により買取価格の基準日については一定の基準が示されたものの,買取価格の算定が裁判所の自由裁量に委ねられるとする以上,本決定により客観的に明確な買取価格の決定方法が確立されたとはいえません。反対株主による株式買取請求にあたり,その買取価格を予測することはいまだ困難であるといわざるを得ず,今後の実務にあたり課題が残るものと思われます。
[1] 放送免許を有する放送局を傘下に持つ純粋持株会社をいい,2007年放送法改正による放送持株会社の解禁により認められることとなりました。その設立のためには総務大臣の認定を受けることが必要とされています(放送法52条の29)。
会社分割に伴う労働契約の承継等に関する法律施行規則の一部改正等について
弁護士 立川 献
1.はじめに
会社分割等の会社の組織変動に伴い、分割会社(A社)から承継会社(B社。なお、新設分割の場合にあっては新設会社)に特定の事業等が承継されることとなった場合、もともとA社に在籍していた労働者の取扱いは、A社とB社の締結した分割契約や、分割計画の定めに従って決定されることになります。しかし、当該労働者からすれば、労働契約が自らの意思とは無関係に承継され、指揮命令を行う使用者が変更されることもあり得ることとなるため、大変大きな問題となります。そのため、会社分割に伴う労働契約の承継等に関する法律(以下「承継法」といいます)が制定され、施行がされています。承継法の施行後においても、大学教授等を中心とする「組織の変動に伴う労働関係に題する研究会」が発足し、組織変動に伴う労働者の地位を保護するため、報告書や提言がなされているところです。
この度、承継法施行規則の一部と、承継法指針の一部の改正が行われました。さらに、会社分割ではないものの、事業譲渡又は合併を行うにあたり、会社等が留意するべき事項に関する指針(以下「事業譲渡等指針」といいます)が制定され、本年9月1日より施行・適用されることとなりましたので、それらの改正内容等について、ご紹介をさせていただきます。
2.承継法施行規則、承継法指針の改正
(1)会社分割における労働契約の承継
会社分割において労働契約がB社に承継されるか否かは、①承継される事業にその労働者が主として従事しているか、②分割契約、分割計画(以下「分割契約等」といいます)にその労働者の労働契約を承継する旨の定めがあるかによって変わります。
Ⅰ.当該事業に主として従事している場合で、分割契約等に承継される旨の定めがあると、当該労働者はB社に承継される
Ⅱ.当該事業に主として従事している場合で、分割契約等に承継される旨の定めがないと、当該労働者はB社に承継されない(異議の申出をするとB社に承継される)
Ⅲ.当該事業に主として従事していない場合で、分割契約等に承継される旨の定めがあると、当該労働者はB社に承継される(異議の申出をするとB社に承継されない)
Ⅳ.当該事業に主として従事していない場合で、分割契約等に承継される旨の定めがないと、当該労働者はB社に承継されない
会社分割においては、A社の権利義務がB社に包括的に承継されることとなります(包括承継)。そのため、法的には、A社での労働条件は、そのままB社での労働条件として承継されることになります。
しかし、個々の労働者がこの点をきちんと理解したうえで、会社分割がなされるわけではありません。従前の労働条件が承継されるかどうか、ということについては、労働者にとっては大きな関心事であるにもかかわらず、労働者あるいは労働組合等に対する通知事項として規定されていませんでした。
(2)通知事項の追加
そこで、A社による労働者への通知事項に、「当該労働者の労働契約が承継会社等に承継される場合には、労働条件はそのまま維持されること」が追加されることとなりました。これにより、承継される労働者も、従前の労働条件で勤務できることを把握することができるようになりました。
(3)承継法指針の改正
承継法指針においては、会社法における議論を踏まえて、重要事項が整理・追加されました。重要と思われるポイントは、以下の3点です。
①承継される事業に主として従事していない労働者につき、商法等の一部を改正する法律附則5条の協議(5条協議)が必要
②5条協議が全く行われなかったり、協議が著しく不十分である等、5条協議を求めた趣旨に反することが明らかな場合、最高裁判例において、労働契約の承継の効力を個別に争うことができるとされていることに留意する
③会社分割に際し、承継法によらず、各労働者との間で転籍に関する合意を行ったうえで承継会社等に労働者を転籍させる場合においても、承継法に規定されている労働者への通知及び5条協議等を省略することができない
3.制定された事業譲渡等指針の内容
(1)事業譲渡における労働契約の承継
事業譲渡の法的性質は個別の財産等の承継(特定承継)であると考えられています。そのため、譲渡会社と譲受会社の間における事業譲渡契約の中で、当該労働者の承継について定めて合意したうえで、労働契約の移転について、当該労働者の個別の同意が必要です。
以上のとおり、事業譲渡に伴う労働契約の移転については、労働者の個別の同意が必要となっていることから、事前の協議や通知を要求する等の特段の法的措置は定められていません。しかし、労働者の納得性を高める等、自主的なコミュニケーションを促進するために、事業譲渡等指針が定められることになりました。
(2)事業譲渡等指針の内容
事業譲渡等指針には、大きく分けて、①承継予定労働者との事前協議に関する事項、②労働組合等との手続に関する事項、③合併にあたっての留意事項の3点が記載されています。
①に関しては、真意による承諾を得るために、時間的余裕を見て、事業譲渡に関する全体の状況、労働条件に関する点等を十分に説明すべきことが定められています。特に、情報提供に誤りや虚偽があると、意思表示の取り消しに関する民法上の規定により、同意が取り消される可能性があることが明示されており、適正な手続きを経て合意を取得するべき重要性が強調されています。
『二段階買収における全部取得条項付種類株式の取得価格に関する裁判例のご紹介』
弁護士 佐藤 有紀
最高裁平成28 年7 月1 日決定(株式取得価格決定に対する抗告許可決定に対する許可抗告事件。以下「本決定」といいます。)が7 月4 日に公表されました。上場廃止を目的とするMBO や上場子会社の完全子会社化のためのいわゆる二段階買収¹が採られる際の全部取得条項付種類株式の取得の価格の決定に関する最高裁の判断であり、実務にも影響があるものと思われます。
平成26 年会社法改正前においては、このような二段階買収を行う場合、①公開買付けを行った後、②普通株式を全部取得条項付種類株式に変更した上全部取得条項を行使し、公開買付けに応じなかった少数株主に対して対価として金銭を交付することによりクイーズ・アウトする手法が一般的に採用されていました。
本決定は、この②で行われる全部取得条項付種類株式の取得価格が①で行われる公開買付けによる買付価格(以下「公開買付価格」といいます。)と同額であるのに対し、少数株主が取得価格の決定の申立て²をした事案に対する最高裁の判断です。
原審は、公開買付け公表時においては、公開買付価格は公正な価格であったと認められるものの、その後の各種の株価指数が上昇傾向にあったことなどからすると、取得日までの市場全体の株価の動向を考慮した補正をするなどして全部取得条項付種類株式の取得価格を算定すべきであり、公開買付価格を取得価格として採用することはできないとしました³。
これに対して、最高裁は、「独立した第三者委員会や専門家の意見を聴くなど多数株主等と少数株主との間の利益相反関係の存在により意思決定過程が恣意的になることを排除するための措置が講じられ、公開買付けに応募しなかった株主の保有する上記株式も公開買付けに係る買付け等の価格と同額で取得する旨が明示されているなど一般に公正と認められる手続により上記公開買付けが行われ、その後に当該株式会社が上記買付け等の価格と同額で全部取得条項付種類株式を取得した場合には、上記取引の基礎となった事情に予期しない変動が生じたと認めるに足りる特段の事情がない限り、裁判所は、上記株式の取得価格を上記買付けにおける買付け等の価格と同額とするのが相当である。」と判断しました。その理由としては、上場廃止を目的とするいわゆるMBOや上場子会社の完全子会社化といったディールにおいては、第1段階の公開買付価格は「全部取得条項付種類株式の取得日までの期間はある程度予測可能」であり、取得日までに生ずる株式取引市場の「一般的な価格変動についても織り込んだ上で定められている」ことが挙げられています。
MBO や上場子会社の完全子会社化といったディールでは、多数株主又は会社と少数株主との間に利益相反関係が存在することになりますが、本決定によれば最高裁は、独立した第三者委員会や弁護士等の専門家の意見を聴くなど公開買付け(とその後に想定される少数株主のスクイーズ・アウト)の過程・手続が公正であれば、裁判所が実体的に価格を算定することは行わずに、公開買付価格と同額であることをもって相当とするという立場を採用したものと評価することができるでしょう。今後は、少数株主による会社法第172 条第1 項に基づく取得価格の決定の申し立てが行われる可能性が低下するのではないかと思われます。
もっとも、本決定はあくまで、全部取得付条項種類株式に関する会社法172 条第1 項の取得価格の決定についての判断であり、平成26 年会社法改正後において、スクイーズ・アウトの手段として利用されるようになった株式併合や特別支配株主による株式等売渡請求における価格決定の申立においても、本決定と同様の判断がなされるかは別途の検討が必要でしょう。
¹ 一般的に、第一段階として公開買付けを行い第二段階として公開買付けに応じなかった株主をスクイーズ・アウトすることをいいます。
² ①全部取得条項付株式の取得に反対する旨を会社に通知しかつ株主総会において反対した株主及び②決権を行使することができない株主は、取得日の20 日前の日から取得日の前日迄の間に、裁判所に対し、取得価格決定の申立てをすることができます(会社法172 条1 項)。
³ 結論として、公開買付価格は123,000 円であったのに対し、取得価格として130,206 円としました。