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有期雇用契約に関する2つの最高裁判所第第二小法廷平成30年6月1日判決について
弁護士 倉本 武任
1.はじめに
非正規社員が不当な賃金格差を訴えた2つの労働事件について、平成30年6月1日、同日に2つの最高裁判決が下されました。1つは、横浜市の運送業者のトラック運転手3名が、定年前と同じ仕事なのに賃金を引き下げられていたのは不当として訴えた事件(以下「N運輸事件」といいます。)、もう1つは、正社員と契約社員で手当の支給に差をつけることが違法かどうかが争われた事件(以下「HL社事件」といいます。)です。
労働契約法20条は、期間の定めがある労働者の労働条件が、期間の定めがない労働者の労働条件と比較して、不合理な労働条件となることを禁止していますが、同条において、①「期間の定めがあることにより」との文言解釈、②不合理か否かの判断、③不合理と認められた場合の法的効果について、これまで判断・解釈が分かれるなかで、両最高裁判決は、最高裁として初めて、各賃金項目の趣旨を個別に考慮したうえで、一部について不合理性を認め、無効であるとの判断を示しました。また、近時、「働き方改革を推進するための関係法律の整備に関する法律」[1]が成立し、同一企業内における正規雇用労働者と非正規雇用労働者の間の不合理な待遇差の是正を図るため、有期雇用労働者の均等待遇規定を整備することとされるなど同一賃金同一労働が叫ばれる状況において、注目すべき裁判例となります。
本稿では、両判決の事案の概要、最高裁判所の判断を紹介し、両判決による影響について検討いたします。
2.事案の概要について
(1)N運輸事件について
会社を定年退職した後に、期間の定めのある労働契約を会社と締結している労働者(以下「有期契約労働者」という。)が、期間の定めのない労働契約を会社と締結している労働者(以下「無期契約労働者」という。)との間で、能率給及び職務給、精勤手当、住宅手当、家族手当、約付手当、超勤手当、賞与といった労働条件の相違があることが、労働契約法20条に違反するかどうかが争われた事案です。
高齢者雇用安定法に基づく定年後の継続雇用措置[2]として有期労働契約で再雇用された労働者について、無期契約労働者と有期契約労働者との処遇の相違が労働契約法20条の不合理な労働条件に当たるか否かが問題となりました。
(2)HL社事件について
有期労働契約を締結して会社に勤務する労働者が、無期労働契約を会社と締結している正社員と当該労働者の間で、無事故手当、作業手当、給食手当、住宅手当、皆勤手当、通勤手当、家族手当、賞与、定期昇給及び退職金に相違があることは労働契約法20条に違反するかどうかが争われた事案です。正社員と契約社員との間の格差が、期間の定めのあることによる不合理な労働条件の相違を禁止した労働契約法20条に違反するか否かが問題となりました。
3.両最高裁判決で共通する主要な争点
①「期間の定めがあることにより」の文言解釈
②労働契約法20条違反の判断基準(労働条件の不合理性の判断基準)
③労働契約法20条違反の効果
4.裁判所の判断について
(1)①「期間の定めがあることにより」についての文言解釈
同条の解釈について「期間の定めがあることにより」とは、有期契約労働者と無期契約労働者との労働条件の相違が期間の定めの有無に関連して生じたものであることをいうものとしました。それまで、同解釈によれば、労働契約法20条が適用される場面はかなり広くなると考えられます。
(2)②労働契約法20条違反の判断基準
労働契約法20条は、有期契約労働者と無期契約労働者の労働条件が相違する場合、当該労働条件の相違は、①労働者の業務の内容及び当該業務に伴う責任の程度(以下「職務の内容」という。)、②当該職務の内容及び配置の変更の範囲、③その他の事情の3つの観点から判断して、不合理と認められるものではあってはならない旨を定めているとし、不合理性の判断基準を示しました。そのうえで、両判決においては、有期契約労働者と無期契約労働者との個々の賃金項目に係る労働条件の相違が不合理と認められるものであるか否かを判断するに当たっては、当該賃金項目の趣旨を個別に考慮すべきものとしています。すなわち、各賃金項目の趣旨によって、その考慮すべき事情や考慮の仕方も異なるという理解を前提としています(ただし、N運輸事件判決においては、両者の賃金の総額の比較や、ある賃金項目の有無および内容が、他の賃金項目の有無および内容を踏まえて決定される場合もあり得るので、そのような事情も考慮するとされています)。
N運輸事件の第一審判決[3]では、①及び②の事項について、有期雇用労働者と無期雇用労働者の間で同一性を有する場合には、③が存在しない限り、不合理性が認められるとする枠組みでしたが、控訴審[4]及び最高裁は、全ての要素を総合的に判断するという枠組みによっており、仮に①、②の事項について、有期雇用労働者と無期雇用労働者の間で違いを設けたとしても③の事項によっては、労働条件の相違が不合理であると判断される可能性もあるということになります。また、N運輸事件の最高裁判決は、控訴審判決と同様の基準によりつつ、会社を定年退職した後に、有期労働契約により再雇用された者であるという事情を、労働契約法20条にいう「その他の事情」として考慮されることとなる事情に当たると解し、各賃金項目の労働条件の不合理性の判断において考慮事情としています。
(3)③労働契約法違反の効果について
両判決においては、有期契約労働者と無期契約労働者との労働条件の相違が労働契約法20条に違反する場合であっても、同条の効力により当該有期契約労働者の労働条件が比較の対象である無期契約労働者の労働条件と同一のものとなるものではないと判断し、上告人が有期契約労働者に関する就業規則等が適用される地位にあることの確認を求める請求を排斥しました。
5.検討
両判決において、例えば、皆勤手当については、出勤するものを確保する必要性から、皆勤を奨励する趣旨で支給されるものであり、有期契約労働者と無期契約労働者の職務の内容が異ならない場合、出勤する者を確保することの必要性は、職務の内容によって差異が生ずるものではないことから、皆勤手当に関する労働条件の相違は不合理であると評価しています。このように、各賃金項目の趣旨から、その支給の有無や内容の違いは、職務内容あるいは変更の範囲の相違から、不合理でないと説明できるのか、それが説明できない場合には、他の賃金項目で優遇している等のその他の事情から企業として不合理でないことが説明できるかを検討する必要があります。
上記、2つの最高裁判決において、労働契約法20条の解釈が示されたことで、企業経営者にとっては、無期契約労働者と有期契約労働者の間で設ける労働条件の検討にあたっては、各賃金項目ごとの目的や、支払基準、金額等について、慎重な検討が求められることとなります。
以上
[1] 働き方改革関連法案の内容について、詳細は厚生労働省のHPを参照ください。
[2] 60歳定年を超えた労働者について、企業に、原則65歳までの雇用保障をすべきことを求めるものです。
[3] 東京地裁平成28年5月13日判決
[4] 東京高裁平成28年11月2日判決
債権法改正について (4・完)
第1 はじめに
今回は,債権総論部分について,前回紹介しきれなかった,債権譲渡,多数当事者の債権債務関係,保証を紹介したうえで,契約各論部分について紹介します。今回も,従来の判例理論を明文化したものや商法等の他の規定を取り込んだ部分は除き,現在の運用と異なる規定だけをみていくことにしましょう。
第2 債権総論
1 債権譲渡
債権譲渡禁止特約について従来は第三者に対しても主張でき特約の存在について悪意又は善意重過失の譲受人に対する債権譲渡は,そもそも無効だと解されてきましたが,基本方針では,当事者間にのみ効力を有するにとどまるとしました。つまり,たとえ債権譲渡禁止特約について譲受人が悪意又は善意重過失であっても,債権譲渡は有効となります。特約に違反した譲渡人が債務者に対して債務不履行責任を負うにとどまります。但し,債権譲渡が有効だとしても,債務者は債権を主張してきた譲受人に債権譲渡禁止特約の存在を対抗できます。債務者が債権譲渡を承認したとき,譲受人が善意無重過失であるとき等は対抗できません。
また,金銭債権の債権譲渡の対第三者対抗要件を登記としています。そして,対債務者対抗要件(基本方針では「権利行使要件」といいます)としては従来認められていた債務者の承認を認めないことにしました。これは,債務者を債権譲渡のインフォメーションセンター機能から解放すべきだという考えに基づきます。
2 多数当事者の債権債務関係
連帯債務について相対効の原則を現行法より徹底しています。現行法では絶対効とされてきた,請求や更改や免除や時効が原則として相対効とされました。連帯債務もあくまで別々の債務だから,一人の効力を全員に及ぼすのは慎重であるべきという考えによります。
また,他の連帯債務者の債権を援用した相殺も廃止しています。他人の債権を勝手に処分するのは不適当だという考えによるものです。
3 保証
(1)保証一般
従来の保証契約とは別に,債務者と保証人との間で締結される保証引受契約を規定し,債権者の同意により保証債権が発生するとしました。また,催告の抗弁を廃止しています。主債務者への催告を求めるだけで,あまり抗弁としての実効性がないという考えによります。
現行法は数人の保証人がいるときに分別の利益を認めています。つまり,保証人が二人いるときは各々2分の1ずつの債務を,保証人が三人いるときは各々3分の1ずつの債務を保証することになります。しかし,基本方針では,保証人が複数いる場合,保証人は互いに連帯することとしました。保証人が複数いる場合,債権者はどの保証人に対しても債権全額を請求できます。これは,保証人が一人の場合より複数の場合を債権者に有利に扱うべきとの考えによります。
保証人の事前求償権の制度も廃止しています。事前求償が認められるような場合は,主債務の弁済期が到来している場合等債権者が執行できる場面であり,保証人は,債権者に債務者への執行を促し,それでも債権者が適切な時期に執行しなかったために被った損害分については,保証人に義務を負わせないことで充分という考えに基づきます。
(2)連帯保証
判例は,債権者にとって商行為性があれば保証は連帯保証となるとしていますが,基本方針は保証人にとって商行為であるときに連帯保証となる,としています。
(3)根保証
現行法は貸金等の債務に限り,根保証をするにあたって極度額の定めを求めていますが,基本方針は,貸金債務に限らず,全ての債務について個人が根保証をする場合には,極度額の定めを必要とします。もちろん,保証人の保護を目的とするものです。
第3 契約各論
1 売買
担保責任を債務不履行の一種としています。したがって,担保責任による解除や損害賠償は,債務不履行による解除,損害賠償と同じ要件で認められます。つまり,重大な不履行があれば解除,債務者が引き受けた事由により債務不履行が生じれば損害賠償が認められます。(債務不履行による解除,損害賠償の要件については第1回の記事をご参照下さい)
たとえば,他人物売買については,履行不能等になったときは,他人物であることにつき善意の買主も悪意の買主も重大な不履行があったとして解除でき,売主に支払っている部分があれば,売主が引き受けた事由により債務不履行になったとして損害賠償も認めらます。一部他人物売買や瑕疵担保についても同様です。一部他人物売買,制限物権付売買,瑕疵担保については,買主の代金減額請求も認めています。瑕疵担保の場合は売主に過分な費用を負担させるものでない限り代物請求や修補請求等の追完請求も認められます。この際,買主が瑕疵につき善意無過失でなくとも,後発的瑕疵でも瑕疵担保責任は生じます。
担保責任追及について短期の期間制限はあまり合理的理由がないと考え廃止しています。
瑕疵ある目的物が滅失した場合,契約の性質上可能な限り買主は瑕疵のない物を追完請求できますが,その際,買主は瑕疵ある物の価格を返還しなければなりません。瑕疵ある物を受領した買主は,瑕疵ある物を返還して瑕疵のない物を追完請求することが原則となります。瑕疵ある物が滅失した場合,瑕疵ある物を返還することはできないので,瑕疵ある物の価格を償還し,瑕疵のない物を追完請求します。買主は,追完請求権を放棄して瑕疵ある物の価格返還を免れることも可能です。
2 贈与
贈与契約の後,受贈者が贈与者を虐待したり,贈与者を扶養する義務があるのにその履行を拒絶したりした場合,贈与者が贈与契約を解除できることを定めました。贈与契約は親族間で,老後の世話を受けること等を理由に締結されることが多い契約です。つまりは,贈与契約は人的信頼に基づく契約といえ,その信頼が破壊されれば解除を認めるべきとの考えによります。贈与者が死亡した場合,相続人による解除も認めています。期間制限としては,解除権を行使し得る時から1年、贈与の履行から10年を定めています。当事者間の法律関係の早期安定のための規定です。
また,贈与者は目的物の保管について自己財産と同一の注意で足りることを定めました。無償契約なのに有償契約のような善管注意義務を課すのは酷だとの考えに基づきます。さらに,贈与契約解除による原状回復義務は現存利益に限られると定めました。これも贈与契約が無償契約であることから,解除にあたって贈与者から何らの返還も受けない受贈者の義務を軽減したものです。
死因贈与について,遺言と同じく公正証書または自筆証書による必要があることを定めました。当事者の意思明確化による紛争防止,安易な契約締結防止を狙いとしたものです。
3 賃貸借
不動産に限らず、全ての賃貸借について,事情変更による賃料増減額請求を認めることとしました。さらに,目的物の一部が利用できない場合,一時利用ができない場合賃料が発生しない旨を定めました。これらは,賃料が目的物利用の対価であるという考えを徹底するための規定です。
4 使用貸借
使用貸借契約を諾成契約としました。そのうえで,書面によらない使用貸借契約は,目的物の引き渡しまで,貸主からの解除を認めました。借主からの虐待や扶養義務履行の拒絶による解除も認めています。これらはいずれも,使用貸借契約を贈与契約と同じ無償契約と考え,贈与契約と同じように規定しようという考えによります。
費用償還の短期の期間制限は合理性がないという理由で削除しています。
5 消費貸借・ファイナンスリース契約
消費貸借契約を諾成契約とし,新たな典型契約として,ファイナンスリース契約を定めています。ファイナンスリース契約を新たな典型契約とした理由として,ファイナンスリース契約が現代取引において重要な役割を担っていること,ファイナンスリース契約が既存の典型契約に単純に解消されないことが挙げられています。
具体的な規定としては,リース提供者,供給者,利用者の役割について確認した規定,利用者が目的物受領後即座に瑕疵を確認する義務を定めた規定,リース提供者が修繕義務を負わないことを確認する規定,利用者による目的物の第三者利用にはリース提供者の承諾を要す旨の規定等が定められています。
第4 おわりに
一年を通じてお送りしてきた,債権法改正記事ですが,今回で終了となります。第1回を掲載した平成21年12月の段階では,法務省に法制審議会も立ちあがっていませんでしたが,現在(平成22年8月時点)では,法制審議会民法(債権関係)部会も回を重ね,これまでに12回の会議を開いています。
債権法の改正案が具体的な法案として出来あがるタイミングは未定ですが,少しずつ準備は進んでいます。今後も議論の行く末をみていきたいと思います。
債権法改正について (3)
第1 ) はじめに
今回は、債権総論部分について、前回紹介しきれなかった債権の消滅部分を紹介していきます。今回も、従来の判例理論を明文化したものは除き、現在の運用と異なる規定だけをみていくことにしましょう。
第2 ) 相殺
相殺が受動債権の弁済という性質をもつことから、第三者弁済と同じ条件で、第三者による相殺を認めました。この規定により、債権者と債務者、物上保証人が存在し、物上保証人が債権者に債権を有していた場合、物上保証人の債権と債権者の債権との相殺を物上保証人が主張することができます。 相殺の遡及効を廃止し、相殺の効果は相殺の意思表示の時に生じることにしました。自動債権と受動債権で遅延利息が異なる場合、相殺適状のときから互いに利息が発生しないとするのは公平ではないと考えられたようです。 消滅時効期間が経過後の相殺は認めますが、時効援用後の相殺は禁止しました。時効援用により債権の消滅が確定するからです。 受動債権として相殺禁止となる債権を、不法行為に基づく損害賠償請求権から、害意のある不法行為・害意のある債務不履行に基づく損害賠償請求権、生命・身体侵害への損害賠償請求権へ変更しました。これらは現実の支払が強く期待されるからです。
第3 ) 一人計算
基本方針では、「一人計算(いちにんけいさん)」という新たな債権消滅形態が提案されています。 債権者と債務者に加えて「計算人」という登場人物を加えて、債権者の債務者に対する債権を消滅させ、債権者の計算人に対する債権と、計算人の債務者に対する債権を発生させる制度です。
一人計算制度の導入目的は、決済の簡易化です。債権者と債務者が一人ずつだと決済の簡易化がイメージしにくいかもしれませんね。 では、A がB に対して100 万円、B がCに対して200 万円、C がA に対して300万円の金銭債権をそれぞれ有していた場合に、1 人計算を適用するとどうなるでしょうか。
この後、相殺処理を行うと、計算人からA への200 万円の債権、B から計算人への100 万円の債権、C から計算人への100 万円の債権が残ることになります。こうすると、A が計算人に200 万円支払い、B、C は計算人から各々100 万円の支払いを受ければ決済が終了します。 B がA に100 万円支払い、C がB に200 万円支払い、A がC に300 万円支払うことに比べれば簡易に決済できることがお分かりいただけるのではないでしょうか。 そして、A やB やC が破産等をしたり、差押えを受けることになっても、元の債権は復活しないこととして決済の容易化を保護すると説明されています。 一人計算は、計算人と債権者、債務者の合意により成立します。上記のとおり、A が破産しても計算人は、B、C への支払義務を免れないので、A の倒産リスクを負う計算人は、一人計算成立の合意の際に債権者、債務者から手数料をとることになるのでしょう。しかし、この手数料の問題をどうするか、などは検討されておらず、実務上どう用いるかを想定しているのかはよく分かりません。
第4 ) 免除
現行法は免除を単独行為としていますが、基本方針では、免除は合意によることとし、免除の意思表示に債務者が異議を述べなければ合意とみなされるとしています。 債務者の意思を無視して免除を認めるべきではないという考えに基づくものです。
第5 ) 債権時効
(1)対象及び時効期間
ア 対象
基本方針では、不動産賃借権を除く債権の消滅時効について、民法総則ではなく、債権総論の債権の消滅の項目で定めるべきとしています。その理由は、債権の消滅時効については他の財産権の消滅時効と異なる扱いを多く設けるべきであるからとしています。ではどのような提案がなされているのでしょうか。
イ 時効期間
(ア)原則規定
まず、時効期間について、債権行使することができるときから10 年という従来の規定を維持しながら、債権の発生原因および債務者を知ったときは、知った時から10 年よりも短い期間(3 年、4 年、5 年の意見があります)で期間が満了することを提案しています。具体的な債権の発生原因及び債務者を知りながら放置する債権者には帰責性があるからだと時効期間短縮の理由を説明しています。 それから、現行民法169 条から174 条までの短期消滅時効、不法行為の消滅時効について定めた724 条も廃止するとしています。債権の時効については統一的に規定することが望ましいこと、基本的な時効期間が短縮されるので、短期消滅時効を定める必要性が乏しくなることを理由にしています。
(イ)例外規定
確定判決等により確定された債権の時効期間は10 年とすることは認めています。権利の存在が確実であるし、債務名義を得た者を早々に執行に駆り立てるのは不適当である、との考えに基づきます。 また生命・身体・名誉等人格的利益に対する侵害による損害賠償債権については、権利行使可能なときから30 年、債権の発生原因および債務者を知ったときから5 年または10 年で時効期間が満了するとしています。侵害の回復を受けるべき利益を尊重して長期の時効期間を認めました。
(ウ)時効期間についての合意
現行法では時効期間を伸長する合意は無効と解釈されてきましたが、基本方針では、6 か月(1 年という意見もあります)から10 年の範囲で、時効期間を短縮・伸長する合意を認めています。当事者の意思を尊重する考えからこのような規定を設けました。
(2)債権時効障害
ア はじめに
債権時効に係る時効障害を、従来の中断と停止の2 類型から、時効期間の更新、時効期間の進行の停止、時効期間の満了の延期の3 類型とすることにしました。
イ 時効期間の更新
従来の時効の中断にあたる概念です。時効の進行が振り出しにもどり、再び初めから時効の進行がはじまります。「中断」という言葉よりも「更新」という言葉の方が内容を正確に表しているという考えから、基本方針では言葉を改めています。 従来、時効の中断には請求、差押え、仮差押え、仮処分、承認が認められてきました。しかし、基本方針では執行手続きの終了と承認のみに更新の効果を認めています。 請求は、まだ、権利の存在が不確定な段階であること、確定判決による時効期間の延長を期待すればよく、請求自体に更新の効果を認める必要はないこと、が理由として挙げられています。仮差押え、仮処分といった民事保全についても同様の理由が挙げられています。
ウ 時効期間の進行の停止
従来の民法にはなかった概念です。残存の時効期間を減らさずに、時効期間の進行を止める制度です。 裁判上の請求等従来の請求に該当するものや民事執行や民事保全の申立により時効の進行が停止します。権利が確定していない以上、更新の効果まで認めることはできないが、債権者の権利を保護するため時効完成を認められない場合に進行の停止の効果を認めました。従来の裁判上の請求に加えて、債権についての協議をする合意、裁判外紛争処理手続の利用にも進行の停止の効果を認めました。 進行の停止がされた後、権利が確定しないまま手続が終了するとそれまで進んでいた時効の進行が再開します。権利が確定すると確定判決等による時効期間の延長や執行手続きの終了により更新が認められます。協議の合意や裁判外紛争処理が成立すれば、債務者の承認により更新が認められます。 また、一部であることを明示した一部請求については、現在は判例上一部についてしか時効の中断を認めませんが、基本方針では全部について進行の停止を認めています。中断よりも効果の弱い進行の停止であること、一部と明示しているなら残部について争う認識があろうことが理由として挙げられています。エ 時効期間の満了の延期 従来の時効の停止に相当する概念です。時効期間が経過しても、一定期間時効を完成させません。「停止」という言葉よりも「満了の延期」の方が内容を正確に表しているとして、言葉を改めています。基本方針では、催告に時効期間満了の延期の効果を認めています。
(3)債権時効の効果
一番問題となるのが、債権時効の効果です。実はこの点について、基本方針は一つの考えに絞りきれていません。二つの考えを併記しています。法制審議会も平成22 年4 月現在、この点についてまだ議論していません。ここでは二つの考え方を紹介するにとどめておきます。 一つは、従来の解釈論を引き継ぐ考え方です。時効の援用により、債権が消滅するという考え方です。 もう一つは、時効の援用によっても債権は消滅せず、抗弁権として機能するという考え方です。この考え方は、時間の経過により権利が消滅するのは不自然であるという考え方が根本にあります。債務者の保護としては支払を拒絶する抗弁権を認めれば充分であるという考えです。
第6 ) おわりに
債権総論の部分の改正案は、多岐にわたりますし、改正内容も現行法と大きく変わるものが多くあります。今回述べた以外に大きな変化として特定物の現状引渡しを定めた民法483条も廃止されます。これは、瑕疵担保に影響がでてくるので、次回売買契約について述べるときに併せて述べます。債権譲渡、多数当事者の債権債務関係、保証についても次回に紹介します。
債権法改正について(2)
第 1 ) 債権法改正の状況
前回に引き続き、「民法(債権法)改正検討委員会」が発表した「債権法改正の基本方針」(以下「基本方針」)を題材に、債権法の改正について紹介させて頂きたいと思います。債権法改正をめぐる状況も前回から変わってきていますので、まずその動きを確認したいと思います。
法務省の法制審議会に民法(債権関係)部会が設置され、昨年の 11 月 24日に第 1 回会議が開かれました。部会長には、「民法(債権法)改正検討委員会」の委員長である鎌田薫早稲田大学教授が選出されています。同委員会の事務局長である内田貴法務省参与をはじめ、同委員会のメンバーであった学者の先生方が同部会に委員ないし幹事として多く入っておられます。同委員会のメンバーに入っておられた法務省の審議官や参事官も同部会に参加されています。もちろん法務省の審議会ですから、学者の先生方のみならず、裁判官や弁護士、さらには経営者の方や企業の法務部の方、労働組合の方や消費者団体の方も参加されています。
今年の 1 月 26 日に開かれた第 3 回会議から、いよいよ具体的な論点について議論が始まりました。第 3 回会議では前回この記事でもご紹介した債務不履行に基づく損害賠償について議論されました。 では、前回民法総則と契約総論の部分について紹介しましたので、今回は債権総論の部分を見ていきましょう。債権総論の部分は、債権者代位・詐害行為取消権といった責任財産の保全の規定で現行法と大きな変更がなされ、一人計算(いちにんけいさん)という新たな債権消滅原因が設けられ、債権の時効消滅が債権総論の債権の消滅の項目に規定される等の大きな変更がなされている部分です。当初、債権総論について 1 回で紹介させて頂く予定でしたが、紙面の都合で 2 回に分けさせて頂くことになりました。今回は責任財産の保全について紹介させて頂きます。今回も、従来の判例理論を明文化したにとどまり、法令の適用結果に変化をもたらさないものは割愛し、現在の運用と異なる規定だけを見ていくことにしましょう。
第 2 ) 責任財産の保全の改正
1 債権者代位権
(1)事実上の優先弁済の否定
従来、債権者代位権行使の場面では、債権者が第三債務者から直接弁済を受け、債権者の債務者への返還債務と、債権者の被保全債権との相殺を認めてきました。これは債権者に事実上の優先弁済権を認めるものでした。 しかし、債権者代位権のこのような行使方法は法が本来予定しているものではなく、債権者代位権は裁判外で行使可能という容易に行使可能な権利であるので、このようなメリットを与える必要性が小さいという考えから、基本方針では事実上の優先弁済を否定しています。
第三債務者からの弁済を債務者が受領しないときに生じる問題点は変わりませんので、債権者の第三債務者からの直接受領を認めたうえで、債務者への返還債務と被保全債権の相殺を禁止します。債権者は第三債務者から直接受領した物を債務者に一旦返したうえで、権利行使することになります。この際かかった費用は共益の費用として一般先取特権により保護されます。
また、第三債務者は債権者に直接請求されても、債務者への弁済や供託で免責されることを定めました。
(2)債務者への事前通知
基本方針は、債権者代位権の権利行使の要件として、事前に債務者に通知することを求めています。ただし、通知が困難な場合や権利行使に緊急性がある場合は除外されます。また、債権者が債権者代位訴訟をしたときは、債務者への訴訟告知を義務付けています。
これらは、債務者に権利行使の機会を保証することが目的です。
(3)裁判上の代位の廃止
従来、被保全債権が弁済期前なら非訟事件手続法に則って裁判上の代位をすることが求められていましたが、ほとんど利用されていませんでした。
そこで、被保全債権が弁済期未到来であれば、代位行使を禁止し、裁判上の代位制度を廃止することにしました。保存行為は従来通り、裁判上の代位によらなくとも、被保全債権の弁済期前にできます。
2 詐害行為取消権
(1)無償行為の特則
現在の詐害行為取消権においては、受益者の悪意が要件となっています。しかし、基本方針では、取消の対象となる行為が贈与等の無償行為又は無償と同視できる有償行為であるときは、受益者の悪意を要件とせず、受益者が債権者を害することを知らなくても取り消せることにしました。ただし、善意の受益者が返還する義務を負うのは現存利益にとどまります。
無償で利益を受けている受益者を保護する必要性が小さいことと、善意の受益者を保護する必要性があることを勘案して、このような枠組みを定めました。
(2)取消の効果
ア 取消の範囲
従来の判例では、取消権者の債権額の範囲で取消が認められるのが原則でした。しかし、基本方針では取消債権者の債権額に関係なく、行為の全部を取り消すことを認めました。ただし、過大な代物弁済については、財産隠しの意図がなければ、過大部分だけを取り消せるとしています。
詐害行為取消権を、責任財産保全のために債務者のもとへ財産の回復を図る制度としてとらえ、全部を取り消すことを原則としました。反対給付をした受益者に対する利害調整等は、受益者が一旦全てを返還した後で調整することにしました。
過大な代物弁済について、全部取消を認めるのは問題があり(6,000 万円の抵当権がついている時価 1 億円の土地を抵当権者に詐害行為として代物弁済した場合、代物弁済を取り消すと、債務者の下には抵当権がついていない土地が戻されることになり抵当権者を害してしまいます)、現在の判例も過大部分の取消しか認めていません。基本方針でもこれを維持しています。
イ 受益者の優先権
全部が取り消され、受益者が全てを返還するだけでは反対給付をしていた受益者が害されます。そこで基本方針は、受益者が債務者に反対給付をしていた場合には、反対給付につき返還請求権を認めたうえで、受益者の債務者に対する返還請求権は先取特権により保護されるとしました。ただし、債務者の財産隠しの意図を知っていたらこの先取特権を認めません。また、取消債権者の費用請求権の方が優先的に保護されます。
ウ 請求内容
原則は債務者への返還を求めることとし、金銭や動産については取消債権者が
直接請求することに加えて、受益者に供託することを請求できるとしました。
(3)事実上の優先弁済
従来、詐害行為取消権行使の場面では、債権者代位権と同様に、債権者が受益者から直接返還を受け、債権者の債務者への返還債務と、債権者の被保全債権との相殺を認めてきました。これは債権者に事実上の優先弁済権を認めるものでした。
債権者代位権と同様、このような行使方法は法が本来予定しているものではありません。しかし、詐害行為取消権は債権者代位権と異なり、行使するには裁判上の行使が義務付けられています。したがって、わざわざ詐害行為取消権を行使した債権者を優遇する必要性は債権者代位権よりも高くなります。
そこで、まず、取消債権者が直接交付を受けた金銭や動産に対して、他の債権者は強制執行が可能であるとしました。そして、取消債権者が直接交付を受けてから一定期間(1 か月と 3 か月の意見があります)経過すれば、取消債権者の債務者への返還債務と被保全債権の相殺を認め、事実上の優先弁済を受けられることにしました。その際に余剰があれば、債務者に返還又は供託することとしました。
(4)転得者に対する詐害行為取消権
ア 要件・立証責任
基本方針は、転得者に対して取消を求める規定を受益者に取消を求める規定とは別に定めることにしました。
従来の判例では、受益者善意、転得者悪意の場合、転得者に対する詐害行為取消権を認めてきました。しかし、基本方針では、詐害行為取消権行使の要件として債務者、受益者、転得者全ての悪意を求めることにしています(転得者が二人以上いても全ての転得者の悪意を求めています)。一度善意の受益者が登場した以上、94 条 2 項等の問題と同様に権利関係を早期に確定させようという考えに基づくものです。
また、現在は転得者の悪意要件について、転得者が自らの善意につき立証責任を負うと解釈されています。しかし、基本方針では転得者の悪意の立証責任を取消債権者側に課しています(ただし、無償行為については転得者側が善意について立証責任を負います)。取引の安全を重視して、転得者の保護をより高めました。
イ 転得者の優先権
受益者等前主に反対給付をしていた場合、反対給付の限度で、(2)イで述べた受益者の優先権を代位行使できます。
(5)訴訟
現在は詐害行為取消訴訟において、返還請求の相手方だけを被告としています。しかし、基本方針は、債務者と返還請求の相手方双方を被告とすることを明文で定めました。(2)で述べたとおり、返還者から債務者への権利行使があり得るので、債務者の手続保障のため、債務者も被告とすることにしました。
(6)除斥期間
除斥期間を現在の 20 年から 10 年としています。
第 3 ) おわりに
次回は、一人計算と債権の時効消滅を中心にご紹介したいと思います。
債権法改正について
第1 「債権法改正の基本方針」とは
民法、特に契約法を中心とする債権法の分野で改正の動きがあることは皆様ご存知のことと思います。
今年の4 月「民法(債権法)改正検討委員会」が「債権法改正の基本方針」(以下「基本方針」)を公表しました。まず、この「民法(債権法)改正検討委員会」
がいかなる組織か皆様はご存知でしょうか?
「民法(債権法)改正検討委員会」は、2006 年10 月に民法学者の先生方が中心となって、学者有志による研究会として結成された組織です。委員長には、早稲
田大学の鎌田薫教授が就任されています。しかし、「民法(債権法)改正検討委員会」は、純粋に学者の先生方の研究を目的とした組織かというとそうではありません。事
務局長で学者の内田貴氏は現在法務省民事局参与です。また、「民法(債権法)改正検討委員会」の発起人の中には法務省民事局参事官もいますし、委員の中には法
務省官房審議官もいます。そして委員会の事務局スタッフにも法務省民事局付が数名います。「民法(債権法)改正検討委員会」は、2006 年に債権法改正の必要性
について検討に着手することを決めた法務省が、そのスタッフを関与させているセミオフィシャルな組織でもあります。
今後、民法が改正されるには、まず法務大臣が法制審議会に諮問することになります。この際に、有力な学者の先生方と法
務省のスタッフが集まって検討された結果である、今回の基本方針が重要な影響力を持つことは間違いないでしょう。
では、基本方針がどのように現行民法を変えているのか具体的にみていくことにしましょう。変更部分は多岐に渡りますので、今回は基本方針の中でも、現行民法の民
法総則と契約総論で規定されている部分をみていきます。次回に債権総論、次々回に契約各論に該当する部分をみていきたいと思います。
第2 民法総則
(1)取消的無効
ア 意思無能力
意思無能力者の意思表示が無効であることは、現行民法に明文で規定はされていないものの、判例・学説で異論なく認められてきました。基本方針では意思無能力者の意思表示は取消しうるものとされています。
無効ではなく取消しうるとされたのは意思無能力者の保護を目的とするには取消しうることで充分であるとの考えだそうです。
イ 錯誤取消
錯誤による意思表示も無効ではなく取消しうるものとされています。錯誤規定の趣旨が表意者の保護である以上、無効ではなく取消しうるものとされました。
ウ 取消的無効の立法的解決
意思無能力や錯誤による意思表示が取消しうるものになると、意思無能力や錯誤による無効は表意者のみが主張できるとする従来の取消的無効という解釈論は立法的に解決されることになります。
(2)問題のある意思表示を信頼した第三者の保護
ア 従来の第三者保護
現行民法において、通謀虚偽表示による意思表示または詐欺による意思表示の結果を信頼した善意の第三者は94 条2項または96 条3 項で保護されてきました。しかし、心裡留保、錯誤による意思表示を信頼した第三者を保護する規定は現行民法にはありませんでした。この場合、従来は94 条2 項を類推適用することによって第三者を保護してきました。基本方針ではこれらの場合について明文の規定を設けています。
イ 心裡留保による意思表示を信頼した第三者
基本方針は、心裡留保により無効な意思表示も善意の第三者には対抗できないことを明文で定めました。
ウ 錯誤、詐欺による意思表示を信頼した第三者
基本方針は、錯誤や詐欺による意思表示を信頼した第三者は善意無過失であれば保護されると定めました。詐欺については現行民法は善意で保護されるとしているのに、保護要件を厳しくすることになります。錯誤や詐欺については心裡留保や通謀虚偽表示よりも表意者を保護する必要性が高いという価値判断があるようです。
第3 契約総論
(1)原始的無効の契約
契約上の債務の履行が原始的に不可能な契約は無効であると解釈されてきました。しかし、基本方針ではこれを原則有効としています。契約の効力を物の存否に依拠させるのではなく、あくまで契約は当事者の合意により成立するという考えを徹底させたものです。合意さえあれば常に有効というわけではありません。当事者の合意を徹底させますので、契約締結に際して、当事者が、原始的不能の場合は無効であると予め合意しておけば無効となります。
(2)法定利率
現在の民事法定利率は5%です。現在の金利相場から考えてこれが高すぎるのは異論がないでしょう。しかし、バブル期のように金利5%が決して高くない時代はありましたし、今後もそのような時代が来るかもしれません。そこで、基本方針は法定利率を変動方式にすることを提案しています。具体的には政令などに委ねることを提案しています。
また、実際の金利にあわせて、短期と長期の2種類の金利を定めることを提案しています。
(3)損害賠償
1. 基本方針では、債務不履行に基づく損害賠償において債務者の帰責性が要件ではなくなっています。もちろん、基本方針においても債務不履行について債務者が絶対的な結果責任を負うわけではありません。「契約において債務者が引き受けていなかった事由」により不履行が生じたときには、債務者は損害賠償責任を負いません。つまり、債務者が引き受けていたリスクにより生じた不履行について債務者は賠償義務を負います。
基本方針は「責めに帰すべき事由」という表現を避けています。「責めに帰すべき事由」は過失責任と結び付けて論じられてきました。「責めに帰すべき事由」がないこととは、無過失であることと同義に論じられてきました。しかし、基本方針では契約法の分野においては過失責任の原則がそのまま妥当しないと考え「責めに帰すべき事由」という表現を避けています。
たとえば、ある商品の売主が、商品の発送を運送業者に委託したとします。発送の途中で運送業者が事故を起こし商品が滅失したとします。この売主は債務不履行に基づく損害賠償責任を負うでしょうか?売主に過失がなければ常に免責されるという結論が不当であることはあきらかです。売主が事業者で、売主の関連業者が運送していた場合等ではその結論の不当性は顕著です。
現行民法は「履行補助者の過失」という議論でこの問題を解決してきました。債務者本人に過失はなくとも、履行補助者に過失があれば、履行補助者により利益を得ている債務者本人も責任を負うべきという理屈です。
基本方針ではこのような場合、売主が契約において運送業者の事故のリスクについて引き受けていたのか否かで決することになります。売主が事業者でないなら、プロの運送業者に任せた以上、運送業者の事故についてまでリスクを引き受けていないと考えるのが自然でしょう。売主が事業者で運送業者がその関連業者なら、その事故についてのリスクも引き受けていたとみるべきでしょう。基本方針は、契約法の分野では、債務者の過失の有無を考えるよりも、契約を不履行にした原因をリスクとして債務者が負担していたか否かを考えるのが直截的だと考えています。
2. 現行民法では金銭債務の不履行については「不可抗力をもって抗弁とすることができない。」(419条3項)として絶対責任を定めています。しかし、金銭債務のみに絶対責任を認める合理的根拠もないし、そのような立法例もみられないことから、基本方針では廃止されています。
(4)解除
基本方針では、債務不履行に基づく解除においても債務者の帰責性が要件ではなくなっています。債務者に帰責性があろうがなかろうが「契約の重大な不履行」があれば、相手方は無催告で契約を解除できるとしています。「契約の重大な不履行」があれば、たとえ債務者に帰責性がなくとも、相手方を契約の拘束から解放するのが妥当だと考えたからです。
履行不能は「契約の重大な不履行」の一例にあたりますので、債務者の債務が履行不能となれば、相手方は無催告で解除できます。履行遅滞の場合も催告をして相当期間が経過したのに履行がなされなければ「契約の重大な不履行」にあたりえます。もちろん些末な遅滞について、催告したのに履行がないとしても「契約の重大な不履行」にはあたらず解除はできません。
(5)危険負担
現行民法において危険負担は、双務契約において一方当事者の債務が、債務者の帰責性なく履行不能となった場合、相手方の債務が存続するのか滅失するのかを規定しています。しかし、基本方針では、債務者の帰責性がなくとも履行不能となれば「契約の重大な不履行」があったことになり、相手方としては解除権を行使して自らの債務を免れることになります。
債務の履行不能により生じる問題は、全て解除により解決しようというのが基本方針の考え方ですから、基本方針では危険負担の規定は廃止されています。債権者の責任で履行不能になった場合は、債権者の解除権の行使が制限され、債権者は反対債務を負い続けることになり、従来の危険負担における債権者主義と同様の効果が生じます。
第4 最後に
基本方針には、今回取り上げた事項以外にも多くの改正案が示されています。従来の判例理論を明文化したもの、現在の消費者法や商行為法を取り込んだものもあります。これらは、法令の適用結果に変化をもたらさないので今回は紙面の都合で割愛し、現在の運用と異なる規定だけをみてみました。次回は現行民法の債権総論に規定されている部分で現在の運用と異なる部分をみたいと思います。
合弁会社の取締役の選任に関する議決権の行使についての株主間合意とその効力
企業活動のグローバル化が速度を増していく昨今、外国企業のリソースを享受し自社のリソースを活用して高いシナジー効果を発揮させるための基本的な法的スキームの一つが外国企業との合弁会社(Joint Venture)の設立です。合弁会社を設立する理由や利点はそれぞれではありますが、いずれにせよ合弁会社の株主たる企業にとって合弁会社の運営や意思決定に実質的に関与できることは、一つの重大な関心事です。しかし、日本の会社法上50%を超える議決権を有する株主は、全ての取締役を選任することができてしまいます(会社法第329条第1項、同法第309条第1項)[1]。そこで、少数派の株主たる企業も合弁会社の運営や意思決定に実質的に関与できるようにするため、株主間でJoint Venture契約(以下、「JV契約」といいます。)を締結し、各株主たる企業が自己の推薦する一定の員数の取締役を選任できるよう議決権の行使について合意することがあります。そして、かかる合意を実効化するべく、実務では様々な取り組みがなされてきました。
今回は、外国の企業Aが60%を、日本の企業Bが40%を出資し、日本に合弁会社C株式会社を設立する場合に、AB間のJV契約(以下、「本件JV契約」といいます。)にて、Cの取締役5名のうち3名をAが推薦、2名をBが推薦して、それぞれ推薦された者が取締役に選任されるよう議決権を行使する旨の合意(以下、「本件合意」といいます。)のあるケースをモデルケースとして、その合意の効力について検討したいと思います。なお、本件JV契約の準拠法は日本法、裁判管轄地は大阪地方裁判所とし、また通常合弁会社は、株式譲渡制限を付して設立されることから、Cも株式譲渡制限を付した会社であることを前提として、検討を進めます。
II 定款記載による本件合意の実現
1 まず、取締役の選任に関する議決権の行使についての株主間の合意を実現する手段としては、合弁会社において取締役の選任に関する内容の異なる種類株式を発行することが考えられます(会社法第108条第1項第9号)[2]。
モデルケースでは、たとえばX種の株主はX種の種類株主総会で3名の取締役を選任し、Y種の株主はY種の種類株主総会で2名の取締役を選任する旨を定款に定め、X種の株式をAが、Y種の株式をBが取得することで本件合意を実現していくことになります。
2 また、取締役を選任する株主総会の決議要件を加重し、それを定款に記載することによって、間接的に少数株主の意向を取締役の選任に反映させる方法も考えられます(会社法第341条参照)。前述したとおり会社法の規定に従えば、モデルケースでは、60%の持ち分を有するAは原則として全ての取締役を選任することができます。しかし、例えば、Cの定款にて、「取締役を選任する株主総会の決議は、議決権を行使することができる株主の議決権の過半数を有する株主が出席し、出席した当該株主の議決権の3分の2以上の多数を持って行わなければならない。」と定めた場合、Aは単独では取締役を選任することができません。結局Bとの本件合意に従った取締役を選任せざるを得ない結果となるため、かかる方法も有効な手段と考えられています。
3 さらに、株主が取締役の選任に関して株主総会で行使できる議決権を株主ごとにそれぞれ一定の員数の取締役に限る旨定款に定めることによって、取締役の選任に関する議決権の行使についての株主間合意を実現していくことも考えられます。モデルケースでは、Aは自己の推薦する3名の取締役の選任についてのみ、Bも自己の推薦する2名の取締役の選任についてのみCの株主総会において議決権を行使できる旨定款に記載することになります。なお、このように株主総会の議決権に関する事項について株主ごとに異なる取扱いをする旨を定款で定めることは、株主平等原則(会社法第109条第1項)の例外として、公開会社でない株式会社について認められており (会社法第109条第2項、同法第105条第1項第3号)、Cの上記のような定款の定めも許容されるでしょう。
4 上記の各方法を定めたCの定款に違反した株主総会の決議がなされた場合、当該決議は、決議取り消しの対象となります(会社法第831条第1項第2号)。よって、少数株主たるBは、本件合意をいずれかの方法でCの定款に反映させることによって、自己の取締役選任に関する利益を確保できることとなります。
III 定款記載によらない本件合意の実現
1 AB間のパワーバランス上、必ずしも上記IIで検討しました定款の定めをAが受け入れるとは限りません。本件合意がCの定款に反映されなかった場合、本件合意には、いかなる効力が認められるのでしょうか。
2 まず本件合意の有効性については、旧商法時代のものですが、東京高裁平成12年5月30日の判決が参考になります[3]。東京高裁は、取締役の選任に関する議決権の行使についての合意につき、「本来、株主がどのように議決権を行使するかは株主の自由であり、商法上、株主総会は株式数の多数によって決議される機関とされており、したがって、会社は多数の株式を有する株主によって支配されるものであるとされていることに鑑みると、株主が多数の賛成を得るために他の株主に働きかけて右のような合意をすることは、何らこれを不当視すべきものではなく、」と判示し、有効性を一般的に認めました。学説においても、取締役の選任に関する議決権の行使についての合意を有効とするのが通説であり、モデルケースの本件合意も有効性は認められることとなるでしょう。
3 それでは、Aが本件合意に違反してCの株主総会にてAが推薦する取締役5名を選任した場合、Bは、いかなる措置を講じることが可能でしょうか。
この点、会社法第831条第1項が列挙する決議取消事由には、契約違反は列挙されておらず、一般的には、取締役の選任に関する議決権の行使についての合意に違反する議決権の行使があったとしても、その効力は取り消し得るものではないと解されています[4]。したがって、BがAに対して取りうる手段としては、債務不履行責任の追及、具体的には損害賠償の請求をしていくことが考えられます。
もっとも、BのAに対する損害賠償請求は、Bの推薦する者がCの取締役に選任されないことによりBが一体いかなる損害を被ったのか損害の内容が明確でなく、困難を伴うことが想定されます。そこで実務上は、一方の当事者が取締役の選任に関する議決権の行使についての合意に違反して議決権を行使した場合に、違反をされた当事者がJV契約を解除し、当該違反をした当事者の保有する株式を合理的な価格で(または、合理的な価格より安価で)譲り受ける規定や、直接的に違約金に関する規定をJV契約に設ける等の措置を講ずることがあります。モデルケースでも、本件合意に違反して議決権を行使した当事者の株式を相手方当事者が安価で譲り受けることができる旨の規定を本件JV契約に設けることによって、本件合意の履行を確保することが期待できます。
IV まとめ
以上のとおり、取締役の選任に関する議決権の行使についての株主間合意の実効性を確保するため、まずは交渉の過程においてしっかりと合意内容を何らかの方法で定款に記載することを目的とするべきこととなります。しかし、契約交渉のパワーバランス上、定款記載が困難な場合は、JV契約において、違約金の規定又は株式の譲受の規定を設ける等して、JV契約上の合意の履行を確保する努力をすることが重要となります。
以 上
[1] 少数派の株主としては、累積投票制度(会社法第342条)を利用することも考えられますが、同制度を利用したとしても常に自己の出資比率と比例する数の取締役が選任できるとは限らず、同制度のみによっては、少数派の株主の意図を酌んだ取締役の選任を達成できるとは言えません。
[2] 委員会設置会社及び公開会社は、かかる種類株式を発行することができません(会社法第108条第1項但書)。
[3] 東京高等裁判所判決平成11年(ネ)第5672号(判例時報1750号169頁)
[4] 非公開会社であることを特徴とする合弁会社の株主全員の合意事項であれば、その合意違反は定款違反に準じて扱うとの解釈も主張されていますが、そのような判断をした裁判例はみあたらず、実際にJV契約の締結を検討する際には、JV契約上の合意だけではそれに反する株主総会の決議の効力は否定されないと考えておくべきでしょう。
フランチャイズ契約における情報提供義務と競業避止義務が問題となった事例
弁護士 西村真由美
【はじめに】
今回は,フランチャイズ契約(以下「FC契約」という)における情報提供義務と競業避止義務が問題となった大阪地判平成22年5月27日(判時2088号103頁)をご紹介します。
フランチャイズにはいくつかの定義がありますが,一般的には,本部(フランチャイザー)が加盟者(フランチャイジー)に対して,特定の商標,商号等を使用する権利を与えるとともに,加盟者の物品販売,サービス提供その他の事業・経営について,統一的な方法で統制,指導,援助を行い,これらの対価として加盟者が本部に金銭を支払う事業形態であるとされます[1]。
【事案の概要】
高齢者向け弁当宅配事業を営むフランチャイザーである原告が,元フランチャイジーである被告に対し,被告との間で締結したFC契約(以下「本件FC契約」という)解除後も高齢者向け弁当宅配事業を継続しているとして,本件FC契約における競業禁止特約[2]に基づき,営業の差止めを求めました(第1事件)[3]。
これに対して,被告は,本件FC契約締結に当たり,原告が誤った売上予測を提供したために,被告において損害が生じたとして, 被告が原告に対し,債務不履行[4]に基づき,加盟金,ロイヤルティ等合計3861万円の損害賠償を求めました(第2事件)。
【争点】
1 被告の競業避止義務違反の有無
2 原告の情報提供義務違反の有無
【判旨】
第1事件請求認容,第2事件請求棄却
争点1(被告の競業避止義務違反の有無)
(1) 結論
義務違反を肯定
(2) 理由
本判決は,「競業禁止特約は,その制限の程度いかんによっては営業の自由を不当に制限するものとして公序良俗に反して無効になる場合がある」とした上で,「本件FC契約における競業禁止特約は,・・原告の経営ノウハウの保護を目的としているものと解される。このような目的に照らすと,期間を5年として,対象者を加盟者及びその関係者とし,区域を定めず,経営だけでなく出資や従事を禁止することも直ちに合理性がないとまではいえず,これに加え,同特約には,期間,業種の限定があり,条項上は地域的限定がないものの,原告の本件請求においては,旧a奈良南店と同一店舗及び奈良県内と区域が限定されており,違反した場合における違約金の定めもないことを併せ考慮すると,同特約は加盟店の営業の自由を不当に制限するものとはいえず,公序良俗に反するものではないというべきである。」として,競業禁止特約を有効とし,被告が,本件店舗と同一の場所において弁当の宅配を行っており,そのメニューや価額がほぼ同一であることから,原告と同一の事業を行っているものと認められるとして,被告の競業禁止特約違反を肯定しました。
争点2(原告の情報提供義務違反の有無)
(1) 結論
義務違反を否定
(2) 理由
本判決は,「フランチャイズ・システムにおいては,一般にフランチャイジーは,店舗経営の知識や経験に乏しく,フランチャイザーから提供される情報に大きな影響を受けるのが通常であり,また,フランチャイズに加盟しようとする者にとって,フランチャイザーから提供される売上予測は,加盟するか否かを決定する際の重要な要素となるから,FC契約締結に向けた交渉の過程において売上予測を提供する場合には,フランチャイザーは,フランチャイジーに対し, 客観的かつ正確な情報を提供すべき信義則上の保護義務を負っているものというべきである。」とした上で,本件FC契約締結前に,原告は被告に対して,当時の被告の収入と同程度の収入を得ることが可能である旨述べただけであって,明確な売上予測として示されたものではない上,被告が営業努力によって顧客を獲得することを前提とした説明であって,その説明において必ず原告提示の35,6万円の収入が得られると誤認させるものであったとは認められず,被告がその収入を得ることはできていないのは,本件店舗における被告の経営の仕方に由来するものであって,原告の売上予測が誤りであったことの根拠にはならないとして,原告の情報提供義務違反を否定しました。
【検討】
1 情報提供義務違反の判断基準
本判決は,「信義則上の保護義務」として,フランチャイザーが,FC契約締結に向けた交渉の過程において売上予測を提供する場合には,フランチャイジーに対し客観的かつ正確な情報を提供すべき義務を負うと認めた上で,原告にその義務違反は認められないとしています。一般的に,フランチャイザーとフランチャイジーとの間には知識,経験及び情報の格差が存在することから,フランチャイザーが,フランチャイジーになろうとする者がFC契約を締結するか否かについて的確な判断ができるよう正確な情報を提供すべき信義則上の義務を負うことについては,判例法理として確立しています[5]。
もっとも,一般論として,フランチャイズ・システムにおける事業リスクはフランチャイジーが負担するのが原則であるため,売上予測は,実際に予測と異なる結果が発生したとしても,それ故に直ちに義務違反となるわけではありません[6]。これまでの裁判例においては,売上・収益予測に関する情報提供義務違反の判断基準として,①売上・収益予測の手法の相当性・合理性,及び②売上・収益予測の適用過程の相当性・合理性という2点を考慮しているようです[7]。
2 競業禁止特約について
競業禁止特約とは,契約期間中あるいは契約終了後において,相手方に対して,自己と同種の事業を行うこと等の競業行為を禁止する特約であり,これには,自ら競業事業を起こすことのみならず,競業他社へ就職することをも禁じる内容を含まれます。FC契約においては,フランチャイザーは,フランチャイジーに対し,営業秘密,ノウハウ及び内部情報等を提供するため,フランチャイジーがフランチャイザーと同一または類似の営業をしたり,提供を受けた営業秘密等を不正に利用したりすることは,フランチャイザーのみならず当該フランチャイズ・システム全体を脅かすものになりかねません。そのため,FC契約においては,一般的に,フランチャイジーによる競業や秘密開示を防止するために競業避止義務に関する規定が設けられます。
もっとも,契約終了後もフランチャイジーに競業避止義務を負わせることは,フランチャイジーの営業の自由や職業選択の自由を制限し,また,投下資本回収を妨げるなど,フランチャイジーにとって大きな不利益となります。そこで,裁判例[8]では,かかる競業制限が合理的であるか否か,具体的なケースごとに合意の対象となった期間・地域・営業の種類などについてその程度を見極め,公序良俗違反の存否を通して,特約の有効性が判断されています。
本件の競業禁止特約は,期間を5年とし,地域限定がないという点では,相当程度被告の営業の自由を制限しているようにも見えます。しかしながら,かかる場合でも,特約に基づく実際の差止め請求において区域を限定することにより,場所に関する制限の合理性を確保する可能性が肯定されている点は,留意すべきであると考えられます。
[1]「フランチャイズ・システムに関する独占禁止法上の考え方について」(平成14年4月24日公正取引委員会)
[2] 本件FC契約においては,「被告又は被告の関係者は,原告の承諾なく,本件FC契約の有効期間及び同契約終了後5年間は,当チェーンの事業の経営,出資,従事等をしてはならない。」旨の特約が存在しました。
[3] 原告は,この他に被告に対し未払のロイヤルティ等合計512万円余りの支払を求め,全額認容されています。
[4] 被告は,本件FC契約締結前の情報提供義務違反の他にも,原告が契約締結後に適切な経営指導等をしなかったとして債務不履行を主張しましたが,判決では,経営改善のための指導等が行われていたとして,原告の経営指導義務違反は否定されています。
[5] 「コンビニエンス・フランチャイズ・システムをめぐる法律問題に関する研究会報告書(1)」NBL948号
[6] 西口元ほか編「FC契約の実務」新日本法規出版株式会社
[7] 前掲「コンビニエンス・フランチャイズ・システムをめぐる法律問題に関する研究会報告書(1)」
[8] なお,FC契約における競業避止義務違反の有無の判断にあたっては,単にフランチャイジーの投下資本回収の必要性が認められるというだけでなく,フランチャイザーによる不適切な勧誘行為を契機として,フランチャイジーが多額の資金を投下することになったという点を重視し,競業避止義務違反を認めた裁判例(大阪地判平成22年5月12日判時2090号50頁)もあり,情報提供義務違反が競業避止義務違反に影響を与えるものとして参考になると考えられます。
取締役による従業員の引抜きと不法行為
【はじめに】
移籍する取締役や競合会社による従業員の引抜きとそれによる技術流出がかねてより大きな問題となっており,移籍する取締役等による従業員の引抜きが不法行為を構成するかという問題も,実務上検討されることが多い法律問題の一つかと思われます。
そこで,今回は,株式会社の取締役が,在任中に,部下である従業員を勧誘し,競業会社へ移籍させた場合における,当該取締役及び競合会社の不法行為責任の有無が問題となった東京地裁平成22年7月7日判決・判タ1354号176頁をご紹介します。
【事案の概要】
原告であるXの事業は,映像事業部とテレコミュニケーション事業部(以下「本件事業部」といいます。)の二つの事業部を基礎としており,本件事業部の売上はXの総売上の約5割を占めていました。
Xは,業績不振のため平成19年度より財務状況が悪化し,主要株主等に増資の引受を中心とする支援を求めていたところ,競業会社である被告Yの代表取締役Aは,Xの大口顧客の執行役員から,Xの破綻回避への協力の打診を受けました。そこで,Aは,X取締役Zに対し,X支援策として,X従業員をZとともにYに移籍させ,YがXのソフトウェア等の保守管理業務を実施し,ソフトウェアの著作権者であるXに使用料を払う形の業務提携を提案し,従業員の人選や移籍のタイミングは,Zに一任しました。
その後,Zは,移籍勧誘の対象とした従業員の雇用条件をYに開示し,Yから同従業員宛の内定通知書の交付を受けるなどした上で,順次,移籍予定の従業員に対して移籍の勧誘を行いました。
その結果,平成19年12月から平成20年1月にかけて,本件事業部に従事する従業員の約3分の1である8名がYに移籍することとなりました。そして,Xが予定していた増資は,全ての引受先が辞退する意向を表明したため頓挫し,Xは本件事業部の維持を諦め,Bに本件事業部を譲渡することとしました。
Xは,Z及びYの行為が違法な従業員引抜行為にあたるとして,Z及びYに対し,不法行為等に基づき,従業員の移籍等により生じた損害の賠償を求めました。
【争点】
1 Z及びYの不法行為等に基づく損害賠償責任の有無
2 損害額
【判旨】一部認容・控訴
1 Zの不法行為について
本判決は,Zの不法行為の成否について,①本件事業部の存続には,自社開発したソフトウェアについての知識・技術を有する人的資源が不可欠であり,その中核を担うZらの移籍は,総売上の50%強を占める本件事業部の存続自体を困難にしかねないものであって,原告の事業全体に多大な影響を与えるものであったこと,②Xは増資等により資金調達を図る意向であったところ,Zは,取締役会における十分な議論を経ずに,従業員の移籍というXの意向とは矛盾する方策を採ったこと,③Zによる勧誘方法は,移籍対象となった従業員に虚偽を含む事実を告げ,Xの内規に違反してX従業員の雇用条件をYに開示し,これを踏まえて作成された内定通知書を移籍対象従業員らに交付するなど,不当なものであったこと等を指摘し,Zによる本件事業部の従業員に対する移籍の勧誘は,取締役としての善管注意義務(会社法330条,民法644条)や忠実義務(会社法355条)に違反し,社会的相当性を欠くものであって,不法行為を構成すると判断しました。
2 Yの不法行為について
本判決は,Yの不法行為の成否について,Yは,Zらの移籍がXに重大な影響を与えることは認識していたが,①Yは,Xの破綻を回避するための業務提携等の打診を受け,Zらに業務提携の提案を行ったのであり,Zの顧客を奪取する等の意図をもって協議を開始したのではないこと,②Yは,専らZを通じてのみ従業員の移籍等に関する協議を行っており,Xの増資の進捗状況等は知らなかったこと,③Yは,Zからの連絡により,移籍の勧誘がX内部である程度肯定的に受け取られていたと認識していたこと,④YはZによる雇用条件の開示がXの内規に違反していたとは知らなかったこと等を指摘し,Yによる移籍の勧誘は,社会的相当性を欠く違法なものであったと評価することはできず,不法行為を構成しないと判断しました。
3 損害額について
本判決は,従業員の移籍により履行不能となった業務のYへの委託費用や,受注が内定していた案件に関する逸失利益,弁護士費用をZの不法行為による損害として認め,Zに約5500万円の賠償を命じました。他方,事業譲渡に関する費用等については,Xが平成19年当初から資金繰りに窮しており,Zらの移籍という事態の有無にかかわらず,本件事業部を譲渡せざるを得なくなる可能性があったこと等を考慮し,Zの不法行為との相当因果関係を否定しました。
【検討】
多くの裁判例は,本件のような取締役による従業員の引抜き工作[1]について不法行為が成立するためには,当該行為が社会的に見て不相当であることが必要であるとしており,本判決と同様に,従業員の引抜きが会社に与える影響の大きさや,引抜き工作の態様を考慮して,不法行為の成否を判断しています[2]。
競合会社による従業員の引抜き工作について,不法行為責任が認められるかについても,同様に,当該行為が社会的に見て不相当であるかにかかっていますが,競合会社の行為に不法行為の成立を認めた裁判例は,引抜き工作を実行した取締役との間に密接な協力関係を認定している場合が多く[3],本件におけるYとZには,そこまでの密接な協力関係が認定されなかったものと思われます。
従業員の引抜きの問題は,職業選択・営業の自由とも関連し,適法違法の線引きが難しい問題ですが,本判決は,不法行為の成否及び損害の範囲について判断した一事例として,実務上参考になるものと考えます。
[1] 取締役による従業員の引抜きについては,取締役の忠実義務(会社法355条)との関係も問題になりますが,忠実義務違反によって当然に不法行為が成立するのかは必ずしも明らかではありません。
取締役の忠実義務違反の成否に関しては,在職中の取締役が従業員の引抜き工作を行えば,それだけで忠実義務違反になるとする見解(吉原和志「判批」ジュリスト920号37頁他)と,取締役による引抜き工作が何らかの不当性を備えた場合のみ忠実義務違反となるとの見解(江頭憲治郎「判批」ジュリスト1081号124頁他)が対立しています。
[2] 東京地判平成17年10月28日・判時1936号87頁,東京地裁平成18年12月12日・判時1981号53頁等。
[3] 前掲東京地裁平成18年12月12日,東京地判平成20年12月10日・判時2035号70頁等