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弁護士 苗村博子
弁護士生活 30 数年を迎える私たちが、司法試験に合格した時の総数はわずか約 450 人でした。裁判官も検察官も弁護士も同じ研修所で修習したという連帯は強く、私たちの期だけではなく、今はわかりませんが、相応の期は各期 10 周年、20 周年、30 周年と10 年毎に記念行事が行われてきています。これを超えると参加できるのがだんだん難しくなることを考え、5 年毎に記念行事を行う期が増えてまいります。私は 39 期と呼ばれる期なので、本来なら昨年35 周年記念行事が行われるはずでした。一昨年の秋は新型コロナウイルスの影響が強く感じられ、開催できませんでしたが、それでもそのまま終わるのではなく、長い準備期間をもらった形で昨年の 10 月に福岡で開催をすることができました。3 分の 1 にも当たる約 150 人が集まり、盛大に全体会をし、そのあとは各クラスに分かれて懇親会を行いました。
私自身は、総合司会をする同じクラスの友人を手伝う役を担当することになりました。私たちは、オウム真理教の幹部によって、ご家族含めて、殺害されてしまった坂本堤さんと同期です。私は隣のクラスで、直接お話したことはありませんでしたが、修習時代の彼の姿を覚えています。本当に優しそうなお人柄がしぐさにも表れていました。総合司会担当の友人と同期会全体会の進行を考える中で、坂本さんご一家を偲ぶコーナーを設けようと考えました。これを世話人会に諮ったのが、本年の春のことです。コーナーを引き受けてくれた坂本さんと同じクラスの弁護士さんが、素敵なスライドやご家族の写真のコラージュを作ってくれ、奥様のお名前を冠した「SATOKO」という曲の弦楽四重奏でのアレンジ曲をバックに、関係者の皆さんが毎年富山、新潟と別々の場所にある 3 人の慰霊碑を訪ねていることなどとともに、坂本さんがオウムの問題に熱心に取り組むだけでなく、労働問題等で活躍されている姿のスライドでコーナーを締めてくれました。参加者の心にあらためて坂本さんご一家の姿を刻めたこと、とても意義深い時間となりました。
その後も、何人かへのインタビュアーを引き受けてくれた弁護士さんが、それだけでなく素敵なバルーンを作ってくれ、私も記念品として、私たちが全員集まって研修を受けた研修所の敷地の旧岩崎邸の写真を使ったミニタオルを提案して、皆さんにお配りしました。
代表世話人を務めてくれた弁護士さんから、皆 60 歳を超え、今までの法律実務家としての日々の業務だけでなく、社会に貢献していこうとの最後の挨拶も私を含め、みんなの心にしっかり届いたように思います。私は雑務担当だったのですが、マイクを握るときもあり、少しおしゃれをして(!?)会に臨みました。今回の写真はバルーンと一緒にその時撮ってもらったものです。
弁護士 苗村博子
皆さん、このタイトルご存じですか?私は「知財ってなに」(https://www.chizai.info)のN弁護士同様、数年前からジュリ沼にはまっているのですが、その沢田研二さんがキネマ旬報他で主演男優賞を取られた、水上勉のエッセイを原作とする映画のタイトルです。水上さんは京都の禅寺で小僧さんをしていた経験から、その後移り住んだ長野の別荘で自ら畑を耕し、作った精進料理を雑誌で紹介しました。中江裕司監督はそこに主人公ツトムの編集者兼恋人、真知子を配し、ジュリーが作るおいしそうなタケノコや茗荷ご飯、ゴマ豆腐などを土井善晴先生の監修のもと映画に登場させました。見どころ、語りどころはいろいろあるのですが、このコラムでご紹介するのは、この土を喰らうということです。何度かお伝えしているとおり私も家庭園芸を行っており、土をどれだけ準備するかでできる野菜もお花も随分変わるというのは毎年実感するところです。去年芽がでないと思ったら山鳩に種食われちゃってといいながらツトムが鳩を追い掛け回すのに真知子が大笑いというシーンが映画に出てきますが、私は、私のバイブル、『趣味の園芸 やさいの時間』のお教えのまましばらくは鳥の来なさそうな場所でポットで育ててから移植します。といっても昨年はいい加減なままの土に植え替えたので、最後のところでソラマメのさやは枯れてしまいました。山鳩にも見向きもされません。かと思えば割といい加減な土でも育つといわれるトウモロコシはもう少しで食べられそうってところで、全部カラスに持っていかれてしまいました。こんな小さな家庭菜園でも毎年作物の出来も土の状態も違いますが、放っておいたのに(それがよかった?)丸まると太ってくれた今年の大根を見ると私じゃなくて土が育ててくれたんだと実感します。
いま日本に必要なのは農作物の自給ですね。どのように産業化し、若い人たちに農業を担ってもらえるか、もちろんAIなど人工知能やロボットの力を借りたり、建物内での野菜工場なども十分研究されるべきですが、遠回りなようですが、自ら野菜を育ててみることも意味があるように思います。どんなに手間がかかるかがわかる、となると少し高くても文句は言わない、夏野菜をビニールハウスでどんどんストーブであっためて冬に食べる贅沢はあきらめ、旬をありがたくいただくといった少し時間をかけた農業教育、食育というようなものが必要な気がするのです。ドイツではクラインガルテンといって地域の皆さんが集まってつくる菜園のようなものがたくさんあるそうです。またツトムさんは、ご近所の方が持ってきて山と積んでくれた白菜を塩漬けに、渋柿を干し柿にし、梅干をつけて保存食も作っていました。
もちろん世界中が平和でどこへでも食料が安価にかつ環境負荷をかけずに届けられればよいのですが、必要なのは、武器で相手を倒すことではない、孤立を余儀なくされたときに、自分たちの食べるものは自分たちで作れることだと、素敵な映画からそんなことも思ったのでした。
弁護士 苗村博子
「今年は実地開催、沖縄でだよう、行こうよお」との先輩弁護士からのお電話で、慌てて貯まったマイルを使って、5 月、那覇に飛びました。遊びに行ったわけではないのでレンタカーではなく、ゆいレールを使っての移動も経験して開催校の沖縄国際大学に向かいました。開催校からのご挨拶で、屋上に上がれば普天間基地が見えること、2004 年、校舎に米軍のヘリコプターが墜落したときに焼けた木の周辺が、メモリアルのため残されていて見学できることも教えていただきました。
この大会での発表でもっとも私が感銘を受けたのは、裁判官のものでした。歴代の裁判官のご発表者には申し訳ないですが、これまでのご発表の中でも一番興味深いものでした。その発表は私の記憶によれば、大要、次のようなものです。
沖縄に行くと、大きな墓所が点在していることに皆さん、気が付きますよね。また先祖崇拝の慣習が強く、様々な儀式の日には、墓所に親族が集まって、飲食をする風習があるのをご存じの方も多いと思います。そのさらに大きな一族の墓、アジ墓というのが、琉球王国に統一される前の三山時代(あとで Wikipedia で調べると室町時代のようです)あたりの士族の間で作られるようになり、その時代の法律(なのか慣習なのかはっきりしませんが)では、男系長子だけが相続するため、このアジ墓もその一族の男系長子がずっと継いで、様々な儀式を行ってきたそうです。それは今日まで及ぶところで、その一族の物ともいえることから、一つのアジ墓でつながる一族を一般社団法人化してアジ墓を守ろうという一族が出てきたり、社団法人化されていない場合はアジ墓として登記ができないため、他人の名義になっていたりして、そのようなアジ墓の不動産としての所有権をめぐる訴訟が那覇地方裁判所には一定割合であるとのことでした。特に南部では、法務局の記録自体が焼失してしまっていて、公的記録が残っていないことや、その経緯自体を知る方たちも皆さん亡くなってしまっているため、その立証は当事者双方共に困難を極めるとのことで証拠が歴史資料だけという事件もあるようです。また男系長子相続は今の日本の民法では認められないため、これをどう考えていけばよいのか、という点も裁判所としてはご苦労があるようです。このような問題は、少数民族の慣習と西欧から来た平等という文化の衝突という面もあり、考えさせられる問題であるとともに、特に「南部」でという点は沖縄戦の激戦地であったことも当然、関係していることがわかりました。この発表をZoom ではなく、宜野湾市において実体験として聞けたこと、誘ってくれた先輩に感謝です。翌日は昼休みに屋上で基地を見、その広大さに驚き、ヘリコプターの墜落後の写真やその際の記録を読んで慄然としました。怪我人が出なかったことが唯一良かった点です。 夜は久々にお会いする先生たちと那覇の国際通りで美味しい沖縄料理をいただき、ためになり、かつ楽しくもあった学会を終えました。
弁護士 苗村博子
今春から、大阪大学高等司法研究科の特任教授をさせていただいています。大学のキャンパスまで少し距離があることから、大学のご配慮で秋 ・冬学期の木曜日の第3限、第4限に集中して 2コマずつの講義を半年間続けていくことになります。毎週2コマ全部で 30コマはかなり大変なことになるだろうと、春からレジュメを準備して対応しているのですが、まだ全部が完成する前に秋の授業が始まってしまいました。
私が担当するのは、企業法務の基礎知識という表題で、民法の契約不適合責任から始まって、経済法、国際契約、国際ビジネスで気を付けるべき法律(FCPAやGDPR等)、知的財産法、M&A、個人情報保護法、公益通報者保護法、証券諸法、不祥事対応など、まさに弁護士となったときに企業クライアントの仕事をしたり、社内弁護士として各部から相談を受けたりしたときに役立つ法律を盛り込んだつもりです。実は、10年以上も前に、苗村塾という企業向けのセミナーを10回シリーズで行ったことがあり、コロナ下、在宅勤務で対応事件が減った際に、若先生方の協力の下、これをブラッシュアップして「製造業を支える法務パーソンの基礎知識」という本を作りました[i] 。この原稿をベースに、これまで重ねてきた企業向けセミナーのレジュメも使って、授業の資料をPPTで作っています。
私は究極のジェネラリストですので、いずれも深い話はできません。そこで、「苗村弁護士の(大)冒険」と称して、私の実体験をできれば毎回そのテーマに沿って、秘密保持義務に反しない範囲で授業の一部に組み込んで話しています。なんとなく学生さんたちの目が一番輝いて見えるのは、この事件簿について私が語っているときのように思います。企業法務の、クライアントの皆さんからビジネスを教えてもらいながら、二人三脚で事件を進めていく面白さを知ってもらえればと思っています。
[i] 手前味噌ですが、電子書籍版はAmazonなどでお買い求めいただけます。
弁護士 苗村博子
2007 年7 月にスタートし、若干の遅れや、発行できなかった時期もありましたが、2024 年3 月にこの50 号を発行させていただくことができました。
このNamrun Quarterly の発行を始めてからほぼ100 本、その時々のテーマを選んだ法律エッセイと判例紹介をさせていただいたことになります。
手前味噌で恐縮ですが、紙でこのQuarterly をお送りさせていただいている方から、時々感想をいただきます。ご紹介している新法令や判例の記事が、(その方がおっしゃるには)質が高いとのことだったり、秘書さんのコラムが楽しみと言っていただけたり、装丁がおしゃれだとの感想もあったりと、いろいろな感想をお聴きすると、なるべく頑張って続けていこうというモチベーションになります。
ただ、残念ながら、私の表紙ページのコラムがよかったと言っていただくことはなく、本人としては、その時々の時事問題であったり、時事に関する書物の読後を書かせていただいたり、旅行の報告であったりと、それなりに創意工夫をしているつもりなのですが、お読みいただく方に「なるほど」と思っていただくコラムを書くというのは、なかなか難しいなと思う次第です。今回このコラムページを書くにあたって、第1号からざっと見返してみて、これって、いわば私の3カ月に1回の日記なんだなと改めて思いました。
事務所の山あり谷あり、皆さんに楽しんでいただく、または情報提供を目的としたものなので、あまり谷の部分はお見せしないようにしてきたつもりですが、読み返すと、垣間見えることもあり、また日本全体や世界全体の移り変わりも少し見ることができたりいたします。
なんでも電子化される世の中ではありますが、素敵な装丁を楽しみにしてくださる読者の方もいらっしゃるので、もうしばらくこのままの紙媒体でのNamrun Quarterly を続けていけたら、と思っております。